全長635mにわたって倒壊した阪神高速道路の東灘高架橋。桁と橋脚が一体となったピルツ式ゲルバーPC桁橋だった(写真:日経コンストラクション)
全長635mにわたって倒壊した阪神高速道路の東灘高架橋。桁と橋脚が一体となったピルツ式ゲルバーPC桁橋だった(写真:日経コンストラクション)

 同じ地震災害はないと実感した20年間だった。

 1995年1月17日午前5時46分、阪神大震災(兵庫県南部地震)が発生した。当時は計測震度ではなく、現地調査で震度7と判定された「震災の帯」を中心に10万棟以上の建物が全壊、6434人が死亡した。高層ビルや高速道路の高架橋が無残に倒壊した姿は、災害に対する大都市の脆弱さを見せつけた。
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 当時、筆者は東京近辺にある大学の2年生で、実家のある富山で成人式に出席するために帰省していた。1月17日のまだ暗い早朝、東京へ戻る列車を待っていた駅のホームで、関西で大きな地震が起こったことを知る。詳しい状況は分からないまま数時間待ったあと列車が到着し、東京へ戻った。テレビで見た震災の映像は衝撃だった。

 この震災をきっかけに、地震工学を研究する大学院に進学。軟弱地盤での地震動のシミュレーションなどの研究に従事したが、研究者・技術者の素質はないと諦め、それでも地震被害の軽減に少しでも貢献したいと思い、建設分野の専門誌記者になる道を選んだ。

 記者になって、地震が起こるたびに被災地を取材した。阪神大震災から約10年がすぎ、建築物や土木構造物の耐震基準が強化され、既存構造物の耐震補強も進んだ2004年10月23日、新潟県中越地震が発生した。計測震度で初めて震度7を観測した地震だ。

新潟県山古志村の東竹沢地区にできた「天然ダム」。青い屋根の建物の前に見える白い排水パイプで、ダム湖の水位を下げている(写真:国土交通省)
新潟県山古志村の東竹沢地区にできた「天然ダム」。青い屋根の建物の前に見える白い排水パイプで、ダム湖の水位を下げている(写真:国土交通省)

 新潟県中越地震は、阪神大震災と同じ直下型地震だったが、揺れの大きかった範囲が中山間地だったので、多数の土砂災害が発生した。斜面崩壊によって河川がせき止められる「天然ダム」が生じ、集落が水没した。コンクリート構造物も、上越新幹線の高架橋や山岳トンネルが崩壊。似た地形が多い日本のどこでも起こりうる地震災害だとして、地震の脅威を再認識した。
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 そして2011年3月11日、東日本大震災が発生。「1000年に1度」と推定される海溝型の巨大地震による津波は東北沿岸の集落を軒並み破壊し、福島第一原子力発電所の原子炉をメルトダウンさせた。もうすぐ丸4年になるが、復興は道半ばだ。

宮古市田老地区。「万里の長城」と呼ばれた防潮堤の上から町を見る。市街地の建物の多くが津波によって倒壊している(写真:日経コンストラクション)
宮古市田老地区。「万里の長城」と呼ばれた防潮堤の上から町を見る。市街地の建物の多くが津波によって倒壊している(写真:日経コンストラクション)

 阪神大震災から20年。耐震基準が強化され、それに基づく耐震補強も進められている一方、異なるタイプの地震災害が頻繁に発生している。「次の大震災」が同じタイプとは限らないのだ。

 例えば、内閣府が2013年12月にまとめた首都直下地震の被害想定では、火災による被害が非常に大きい。最悪の場合、揺れによる被害は建物の全壊が約17万5000棟、死者が約1万1000人なのに対し、火災による被害は焼失約41万2000棟、死者約1万6000人と想定している。

 行政は様々な対策を講じているが、延焼の恐れが強い密集市街地の解消はなかなか進まない。また、長周期地震動による超高層ビルや長大橋の「深刻な被害」をまだ経験していない。

 現代に生きる私たちは、これからも未知の災害に遭遇する可能性が高い。そのたびに「想定外」だと言い逃れないように、あらゆる可能性を検証し、対策を講じておかなければならない。それでも、どんな長生きしても人間の一生と天災のサイクルはケタが違うのだから、天災の記憶を明示的に未来に残さなければならないと思う。