公務員も生身の人間

 映画はみゆきと三浦の出会いをきっかけとして、薄日が差すような雰囲気で終わる。出会いといっても何か劇的な出来事をもたらすわけではない。起こるのはみゆきにとって、ほんのちょっとしたことだ。それでもみゆきの、そして修の顔に控えめながら笑みが広がっていく。

原発事故の被災地で空間放射線量が比較的高い帰還困難区域の立て看板(2013年10月撮影)。映画『彼女の人生は間違いじゃない』では、主人公の父親がこの区域内の自宅に一時帰宅してある行動を起こす場面が、クライマックスの1つになっている(写真:日経コンストラクション)
原発事故の被災地で空間放射線量が比較的高い帰還困難区域の立て看板(2013年10月撮影)。映画『彼女の人生は間違いじゃない』では、主人公の父親がこの区域内の自宅に一時帰宅してある行動を起こす場面が、クライマックスの1つになっている(写真:日経コンストラクション)
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 ところで、映画やテレビドラマは刑事ものを除くと公務員を堅物のキャラクターか悪役に位置付けることも多いが、この作品は徹底してごく普通の生身の人間として描く点でもユニークだ。

 みゆきと同じ自治体に勤務する新田勇人(柄本時生)も重要な脇役だ。東京から震災を調べに来た女子大生の取材に広報担当の職員として応じるが、自らも被災者であることが影響して言葉に詰まってしまう。映画は震災の“後遺症”による個人の苦しみに官民の違いは無いことを明示している。

 こうした人間臭い公務員の描き方に納得、共感できたのは、日経コンストラクションの読者投稿欄「ねっとわーく」に寄せられる読者の声には土木系の公務員も多いことが影響している。さすがに違法な副業の告白は無いが、日常的な職務に関する哀歓や悩みの率直な吐露はよくある。東北地方だけでなく全国的に地震や豪雨などの自然災害が激化する一方で、官民を問わず土木界全体に人手不足の問題が暗雲のように垂れ込める時世であるから、感情的になるのは無理もないと思う。

 映画で新田に無遠慮な質問をして閉口させたのは女子大生だが、恐らく廣木監督には筆者のようなマスメディアの取材姿勢を批判する意図があっただろう。災害取材では建設専門誌として聞くべきことを聞くために、自治体や国の出先機関の職員に厳しい質問をぶつけなければならない場合もある。それでも、取材対象の職員も個人として被災した可能性を想像することは最低限の配慮として必要だと反省した。

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(関連情報:映画『彼女の人生は間違いじゃない』公式サイト予告編