東日本大震災の発生から今日で4年が経過した。福島第一原子力発電所の事故の影響で建設工事が遅れた常磐自動車道は10日前の3月1日に全通し、復旧・復興を促進する役割を果たしている。2013年3月、10月、14年8月と3回にわたり現地を取材し、路上の空間放射線量が極めて高かった時期を知る者として、感慨深いものがある。

3月1日、常磐自動車道のなかで最後に開通した常磐富岡インターチェンジ(IC、福島県富岡町)─浪江IC(福島県浪江町)間。制限速度が時速50kmとなっているのは雨天のためだ。東日本大震災で被災して2014年2月に再開通した広野IC─常磐富岡IC間と同様に、路肩部に線量計がある。空間放射線量は舗装前に比べれば大幅に低下した(写真:東日本高速道路会社)
3月1日、常磐自動車道のなかで最後に開通した常磐富岡インターチェンジ(IC、福島県富岡町)─浪江IC(福島県浪江町)間。制限速度が時速50kmとなっているのは雨天のためだ。東日本大震災で被災して2014年2月に再開通した広野IC─常磐富岡IC間と同様に、路肩部に線量計がある。空間放射線量は舗装前に比べれば大幅に低下した(写真:東日本高速道路会社)

 三郷ジャンクション(JCT、埼玉県三郷市)と亘理インターチェンジ(IC、宮城県亘理町)を結ぶ全区間のなかで最後に開通した常磐富岡IC(福島県富岡町)─浪江IC(福島県浪江町)間は、福島第一原発との距離が最短で約5kmとなる区間。かつては路上の線量が毎時30マイクロシーベルトを超える箇所もあった。除染が必要な線量の基準である毎時0.23マイクロシーベルトとは、桁が2つ違う。

 常磐道などの除染を管轄する環境省は13年3月、現地取材の後にいわき明星大学(福島県いわき市)で開いた記者会見で、路上の線量の上限を9.5マイクロシーベルトまで下げる目標を掲げた。人体に対する危険性が、生活するうえではまだ高くても、自動車で通過するだけなら低いと見なした数値だ。このとき汚染土壌を剥ぎ取る除染だけで目標を達成できるめどは立っておらず、同省の担当者は「東日本高速道路会社が工事を再開して施す舗装の放射線遮蔽効果を見極める」と述べた。「やってみなければ分からない」という雰囲気が会見場に漂っていたのを覚えている。

 13年10月の取材では、福島県双葉町内の常磐道でも線量が最高水準の箇所に実際に足を踏み入れた。手元に残る写真(下に掲載)では、東日本高速が未舗装の路上に設置した線量計が実際に毎時30マイクロシーベルトを超える数値を表示している。東日本高速いわき工事事務所の真壁正宏所長が当時、「舗装後は毎時9.5マイクロシーベルト以下に下がる見込みだ」と述べるのを聞いて、正直なところ「そんなに下がるだろうか」と少し不安を感じた。

2013年10月時点の常磐富岡IC(福島県富岡町)─浪江IC(福島県浪江町)間の建設現場。線量計は毎時30マイクロシーベルトを超える数値を表示していた(写真:日経コンストラクション)
2013年10月時点の常磐富岡IC(福島県富岡町)─浪江IC(福島県浪江町)間の建設現場。線量計は毎時30マイクロシーベルトを超える数値を表示していた(写真:日経コンストラクション)

 真壁所長の見込みに狂いは無かった。13年10月に見た双葉町内の現場を14年8月に再訪すると、舗装済みで線量計の数値は毎時7.79マイクロシーベルトに下がっていた。環境省の15年2月20日付発表によると、その後の工事の進展などで常磐道の路上の空間放射線量はさらに下がり、1月27日時点では毎時4.8マイクロシーベルト以下になっていた。