昨年、小社の日経ホームビルダーから日経コンストラクションの編集部へ異動した。どちらも建設業界を取材対象とする点は同じだが、前者で取材した個人住宅と、後者の記者として取材を始めた公共土木施設の各業界は、建設業界内の両極端の感がある。異動後、新鮮な発見に満ちた日々を過ごす一方で、両業界が抱える共通の課題も見えてきた。

 2006年12月にケンプラッツの記者として担当した「建設会社が自覚する社会的責任」についての記事は、建設会社に「最も重要な企業の社会的責任(CSR)」を聞いたアンケートで、「品質のよい施工」という回答が圧倒的多数を占めていたという内容だった。「地域社会への貢献・交流など」や「地球環境保護への取り組み」など、ほかの業種なら選ぶ企業が多そうな回答は、いずれも10%未満だった。当時の筆者は建設業界全般を担当していたが、公共土木工事を担うような建設会社の取材経験は浅かった。「品質のよい施工を行うのは建設会社の本業そのものだ。なぜ本業だけでCSRを果たせると考えられるのか」と違和感を抱いた。

 日経コンストラクションの記者となり、建設会社などに所属する土木の実務者と接する機会が増えるにつれて、約6年前には違和感を覚えたアンケート結果を思い起こし、少なくとも土木の実務者はあのように答えるのも無理はないと納得できるようになってきた。土木市場で公共工事が大きなウエートを占めていることが、実務者に単なる営利事業ではなく社会貢献として仕事をしている自負を抱かせていると筆者は推測している。

 公共工事を担う実務者と官公庁の技術系職員には、社会資本を整備する技術者同士の連帯感のようなものが感じられる。実務者が発注者への対応に割くエネルギーを節減し、工事に専念できる点では有益といえる。工事の規模が比較的大きいだけに、現場が市街地に位置する場合、近隣住民に対応しなければならない苦労もあるが、発注者として官公庁が付いているのだから、「あの技術者たち」と比べれば大した苦労ではないだろう。

顧客対応と近隣対策に大きな違い

 「あの技術者たち」とは、日経ホームビルダー記者として長年取材した個人住宅の実務者のことだ。現場の大部分が市街地にあるため、近隣住民への対応は必ずといってよいほど必要になる。発注者も一住民に過ぎない以上、公共工事のように「この町の経済や防災に役立つ工事ですから」と言って住民をなだめることは不可能だ。発注者と不仲の住民が実務者に日ごろの鬱憤をぶつけてくる恐れもある。そして、発注者は多くの場合、技術者ではなく喜怒哀楽の感情を持つ生活者であり、公共工事のような受注者との連帯感は生まれにくい。個人住宅の実務者は、発注者への対応にサービス業並みのエネルギーが必要だといえる。対応がまずければ、工事の成果物の良しあしにかかわらず契約を切られてしまうこともある。いわゆるクレーマーの発注者とはうまく縁を切る、言わばすれっからしの知恵も時には働かせなければならない。

 公共工事の削減が進み、主に地方の中堅以下の建設会社で異業種への参入がよく話題になった時期があった。個人住宅の新築やリフォームへの参入事例もあったように記憶している。公共工事を手掛ける実務者から見ると、規模が小さく構造もシンプルな個人住宅は技術的にはくみしやすいかもしれないが、発注者と近隣住民への各対応を個人住宅向けに切り替えるのは大変だろう。無理をして個人住宅市場へ進出するのは得策ではないように思う。