大阪中心部の不動産売買価格の高騰が著しい。古くからのビジネス街である本町では、2006年4月、近畿大阪銀行跡地が2年前の約3倍にあたる100億円超で取引された。ブランド店が立ち並ぶ心斎橋の土地相場は、3年前まで一坪あたり1000万円が上限といわれたが、今では4000万円を軽く越えている。梅田駅前の立ち飲み屋街にも、ようやく活気が戻ったようだ。東京から名古屋へと西に向かった景気の波は、金融機関の破綻が尾を引いた大阪を飛ばして、福岡に波及したという。そして今、大阪は約2年遅れの好況を味わっている。

 不動産専門誌の記者としては、この状況を喜ぶべきなのかもしれない。しかし、近代史好きの一人としては、建設工事の仮囲いやクレーンに、胸を締め付けられる思いがするのも事実だ。目抜き通りの御堂筋では、ランドマークとして親しまれてきた重厚な銀行建築や、建築史に名を残したビルが次々に建て替えられ、消えようとしている。

 このうち最も古く、大規模なものは1929年竣工の梅田・阪急百貨店本店だろう。第二次大戦前の駅舎建築のスタイルを色濃く残した建物で、以前コンコースとして使われていた広場の天井には、優雅な装飾付きのアーチを備えている。2011年までの段階的竣工を目指して、つい先日、建物の南側半分の取り壊しが始まった。

 御堂筋を南に下った心斎橋交差点では、黒川紀章氏が設計したソニータワーの解体が始まった。再生可能な建築を目指したメタボリズム運動から生まれた作品の一つで、白く未来的な外観は築30年の古さを感じさせなかった。ギリシャ建築風の列柱を備えた1952年竣工のみずほ銀行心斎橋支店も、今年2月に閉店し、新しいオーナーのもとで取り壊される運命にある。さらに南、なんば駅前のランドマークだった1958年竣工の新歌舞伎座も、2、3年後には解体されるようだ。

 大正時代までわずか幅6mの小道だった御堂筋は、世界に誇れる街並みを目指した都市計画により、昭和初期に幅44mのモダンな街路として生まれ変わった。広い歩道とイチョウ並木、高さを統一したクラシックな建物が立ち並ぶ景観は、現在、海外の有名ブランド店を引き付ける要因にもなっている。バブル後の「失われた10年」が幸いして、この御堂筋周辺には歴史的な近代建築の遺産が多く残った。

 容積率の有効利用や耐震性の確保といった理由の前には、建物のオーナーに現状維持を求めるのも酷な話。歴史的な建造物を税の軽減などで優遇する文化財登録制度も、最近の地価高騰の前では無力だ。昭和初期のビルや町家建築を美しく改装したレストランを見るたび、こうして有効利用される建物が一つでも増えることを願わずにはいられない。

(本間 純)

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