京成と競い合う

 とうきょうスカイツリー駅は移設によって、押上駅に近付く。押上駅に乗り入れているのは、京成押上線とその直通先である都営地下鉄浅草線、東武スカイツリーラインとその直通先である東京メトロ半蔵門線で、都心方面への昼間1時間当たりの運行本数はともに12本。とうきょうスカイツリー駅は有料列車を除けば6~7本ほどで、押上駅の方が便利だ。

 押上駅前には超高層オフィスビル「東京スカイツリーイーストタワー」がそびえ、向かい側には「リッチモンドホテルプレミア東京押上」などが入る複合ビルが建っている。かつて東京スカイツリータウンの敷地には東武鉄道が、リッチモンドホテルの位置には京成電鉄が、それぞれ本社屋を構えていた。東武鉄道は1902年、現・京成電鉄は1912年、この地にターミナル駅を設け、現・JR山手線への路線延伸をめぐって激しく競い合った。過当競争を避ける政策により、競合路線を開業しにくい時代だった。

東京スカイツリータウンの東京スカイツリーイーストタワー。高層部は主にオフィスだが展望レストランもある。東京スカイツリータウン内にかつて東武鉄道の本社ビルがあった(写真:日経BPインフラ総合研究所)
東京スカイツリータウンの東京スカイツリーイーストタワー。高層部は主にオフィスだが展望レストランもある。東京スカイツリータウン内にかつて東武鉄道の本社ビルがあった(写真:日経BPインフラ総合研究所)
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リッチモンドホテルプレミア東京押上などが入る複合ビル。東京スカイツリーイーストタワーの向かいに建つ。かつて京成電鉄の本社ビルが建っていた(写真:日経BPインフラ総合研究所)
リッチモンドホテルプレミア東京押上などが入る複合ビル。東京スカイツリーイーストタワーの向かいに建つ。かつて京成電鉄の本社ビルが建っていた(写真:日経BPインフラ総合研究所)
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 東武鉄道は上野への延伸を望んだものの、浅草ー上野間で現・東京メトロ銀座線との競願に破れ、1931年に浅草まで延伸するにとどまった。

 一方の京成電鉄は、浅草への延伸で東武鉄道と競願するなか、1928年に汚職事件を起こしてしまい、計画を断念した。その後、都心への免許を保有しながらペーパーカンパニーとみなされていた筑波高速度電気鉄道を合併。青戸から分岐して町屋、日暮里回りで上野公園の地下に到達する現在の本線を1933年に開業した。

 両社がさらなる都心への直通を果たしたのは高度経済成長期以降のことだ。京成電鉄は1960年に現・都営浅草線と相互直通運転を始めた。東武鉄道は1962年から現・東京メトロ日比谷線と、2003年から同半蔵門線と、2系統にわたる相互直通運転を実現している。

伊勢崎線第2号踏切の脇では、京成押上線が地下に潜り込んでいる(写真:日経BPインフラ総合研究所)
伊勢崎線第2号踏切の脇では、京成押上線が地下に潜り込んでいる(写真:日経BPインフラ総合研究所)
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京成押上線が伊勢崎線第2号踏切付近の地下に潜り込む様子を臨む(写真:日経BPインフラ総合研究所)
京成押上線が伊勢崎線第2号踏切付近の地下に潜り込む様子を臨む(写真:日経BPインフラ総合研究所)
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手前が東武スカイツリーライン、奥が京成押上線。京成線は押上から京成曳舟に向けて、地下から一気に高架に駆け上がるものの、途中に踏切が残っている(写真:日経BPインフラ総合研究所)
手前が東武スカイツリーライン、奥が京成押上線。京成線は押上から京成曳舟に向けて、地下から一気に高架に駆け上がるものの、途中に踏切が残っている(写真:日経BPインフラ総合研究所)
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