15万ヘクタールを灌漑

 八田は、嘉南平原と呼ばれる南北92km、東西32kmの地域で、洪水と干ばつと塩害の三重苦が支配する不毛の大地を、人々に富をもたらす土地に生まれ変わらせた。彼の考えた工事計画は、誠に雄大なものであった。水源は2つ考えられており、1つは台湾最大の川である濁水渓である。

■ 嘉南大圳の概要図
■ 嘉南大圳の概要図
創風社が2009年に出版した「台湾を愛した日本人(改訂版)土木技師八田與一の生涯」(著者、古川勝三氏)の資料を基に一部加筆
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 濁水渓という名の通り、土砂が多く含まれ堆積するため、ダムを築くことはできず、直接取水することにした。もう1つの水源は、嘉南大圳の心臓ともいうべき貯水池で、後に烏山頭ダムと呼ばれる土堰堤で造られた官田渓貯水池である。

 この貯水池には、台湾第四の川である曽文渓から烏山頭の下を掘り抜いた3800mものトンネルで流域外へ導水した水も蓄えられた。これらの水により、15万ヘクタールもの土地を灌漑(かんがい)するのである。

 曽文渓から導水された水と官田渓の水を蓄えるための烏山頭ダムの堰堤は、全長1273m、底部幅303m、頂部幅9m、高さ56m、地山の切り土量77.5万m3、堰堤の盛り土量540万m3という巨大なものであった。現在では、珊瑚譚(さんごたん)と名付けられた美しい貯水池と一体化した自然そのもののように見える烏山頭ダムであるが、実は、中心に鉄筋コンクリートコアを有するセミ・ハイドロリックフィルダムと呼ばれる工法で造られている。

 地震国であることや、現地で発生する大量の土石を有効に活用できることなどから、この工法を採用した。当時、この工法によるダムは、米国において規模は小さいが数例造られていたのみで、当時、世界でも三本の指に入る巨大な土堰堤が烏山頭に出現したのである。