4月16日、台湾の土木事業に大きく貢献した日本人技師「八田與一(はった よいち)」像の頭部が切断されるという事件が起こった。

 同氏は台湾の日本統治時代に、烏山頭(うさんとう)ダムや台南水道など数多くの土木工事を手掛け、洪水や干ばつなどに苦しんでいた人々に大きな恩恵をもたらした。現代においても台湾で有名な日本人の1人に挙げられる。

 日本にも八田與一を敬愛し、考え方や働き方に賛同する土木技術者が多い。横浜国立大学の細田暁准教授もその1人だ。日経コンストラクションが3月20日に発行した書籍「新設コンクリート革命」では、細田准教授が八田與一への思いをつづったコラムを掲載している。

 ここでは特別にコラムを抜粋して、八田の志や功績のすごさについてお伝えしたい(以上、日経コンストラクション)。

のこぎりで頭部が切り取られる前の八田與一の銅像(2016年撮影)。5月8日の命日までに修復が間に合うか注目が集まる(写真:細田 暁)
のこぎりで頭部が切り取られる前の八田與一の銅像(2016年撮影)。5月8日の命日までに修復が間に合うか注目が集まる(写真:細田 暁)
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「人のための土木」

 2016年3月、筆者の所属する横浜国立大学の土木工学教室の海外見学会で、台湾の烏山頭ダムや台南水道を訪れた。八田與一を筆頭に、数多くの日本人が貢献した偉大な土木事業である。筆者が大学で教養科目として教える土木史の講義において、八田與一の功績に興味を持った学生たちからの提案で、見学会を企画し、実現した。

 見学会に先立って、土木史の権威である緒方英樹氏に来学いただき、同氏が中心となって製作した八田を主人公とする映画「パッテンライ」を視聴し、八田に関する特別講義もいただいた。その後、学生たちが中心となって予習を重ね、見学会に臨んだ。

 東京帝国大学工科大学で廣井勇の教えを受けた八田與一は1886年、石川県に生まれた。「八田に内地は狭すぎる。八田を生かすには外地で仕事をさせるのが一番ではないか」という廣井らの勧めもあり、1910年7月に東京帝国大学を卒業し、8月には台湾総督府土木部の技術者として台湾へ渡った。

 八田が青春をささげた嘉南大圳(かなんたいしゅう)という巨大プロジェクトは、まさに土木のお手本ともいえる「人のためのプロジェクト」であり、八田の生き様には、私たち現代の土木技術者たちが見習うべき哲学があふれている。