「原発の問題は素通りできない」

 肝心の篠山氏はというと、「福島第一原発を撮影してもらえないか」という編集部の誘いに、二つ返事で応じてくれた。16年12月26日、17年1月27日の2度にわたって、現地でみっちり時間を掛けて撮影することになった。後に篠山氏は撮影を引き受けた理由をこう語っている。

 「東日本大震災の直後、被災地に行くことにものすごく迷いがあった。行かなくちゃ、と思いながらも、僕のカメラで捉えられるのか、写真家として何ができるのか―。それを、日経コンストラクションが背中を押してくれた。結果として宮城県の被災地を4回訪れて、『ATOKATA』という写真集にまとめた」。

 「でも、常に原発のことが心の隅にあった。写真家として震災を捉えた時、原発の問題は素通りできない。だけど、津波の被災地に行くより怖かった。自分に何ができるのかと。それでも、今度は躊躇しなかった」。

 固体廃棄物貯蔵庫の建設現場、35m盤高台、凍土遮水壁のプラント建屋、H4タンクエリア、5号機原子炉建屋の格納容器内部――。撮影が早い篠山氏が、16年12月26日の撮影では予定を大幅に超過しながら、発電所内をくまなく巡った。

西側の高台から、1・2号機原子炉建屋を撮影する篠山紀信氏。発電所内の撮影後は、篠山氏の希望で、帰還困難区域などに指定されている周辺地域の様子も撮影して回った(写真:日経コンストラクション)
西側の高台から、1・2号機原子炉建屋を撮影する篠山紀信氏。発電所内の撮影後は、篠山氏の希望で、帰還困難区域などに指定されている周辺地域の様子も撮影して回った(写真:日経コンストラクション)
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