鉄骨造の最上階が吹き飛んだ

 1971年3月に営業運転を開始した福島第一原発の1号機は、「BWR-3」と呼ぶ形式の沸騰水型原子炉だ。格納容器にはフラスコ状の「MARK 1型」を採用。出力は46万kWを誇った。

 東京電力は当時、プラントの建設一式を米ゼネラル・エレクトリック(GE)に発注。下請けとして、東芝が原子炉圧力容器を、日立製作所が原子炉格納容器を、鹿島が建屋の建築工事を担った。

 原子炉を収める建屋は地上5階、地下1階建てで、構造は主に鉄筋コンクリート造。「オペレーティングフロア」のみが鉄骨造で、外壁はサイディングだった。オペレーティングフロアとは、点検や燃料の交換などを行う原子炉建屋の最上階だ。

 水素爆発で吹き飛んだのは、まさにこのオペレーティングフロア。軽量な外壁は爆発の衝撃で放射性物質とともに四散し、周辺の放射線量を高める原因となった。重量がある鉄筋コンクリートの屋根と型枠がわりのデッキプレート、トラス材はほぼ直下に崩落したことが後の調査で分かっている。

1号機原子炉建屋のオペレーティングフロアに折り重なるがれき。建屋を取り巻く濃いグレーの部材が建屋カバーの柱・梁。2016年12月26日撮影(写真:日経コンストラクション)
1号機原子炉建屋のオペレーティングフロアに折り重なるがれき。建屋を取り巻く濃いグレーの部材が建屋カバーの柱・梁。2016年12月26日撮影(写真:日経コンストラクション)
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 崩落したがれきは、オペレーティングフロアの天井クレーンや燃料取り扱い機(FHM)といった設備を押しつぶし、使用済み燃料を貯蔵するプールに覆いかぶさった。事故当時から現在に至るまで、がれきの位置はほとんど変わっていない。プール内には、今も使用済み燃料292体、新燃料100体が眠ったままだ。

 窓がないのっぺりとした壁面を覆う、水色と白色の抽象的な模様。写真で見るとスケール感がつかみづらく、小さく感じるかもしれないが、1号機原子炉建屋は平面が約40m角、高さが45mに達する巨大建造物である。

 45mといえば、15階建てのマンションに相当する高さ。これだけの規模の建屋を覆ってしまえるサイズのカバーを、放射線量が高い現場で造るのだから、建設技術史上、前例のない難工事になることは、疑いようがなかった。

1号機原子炉建屋のがれきの状況。東京電力ホールディングスの資料をもとに日経コンストラクションが作成
1号機原子炉建屋のがれきの状況。東京電力ホールディングスの資料をもとに日経コンストラクションが作成
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