熊本市の水前寺公園近くにあるジェーンズ邸が、4月14日と16日の2度の地震により全壊した。

全壊したジェーンズ邸(写真:日経アーキテクチュア、以下の写真とも4月17日の11時30分ごろに撮影)
全壊したジェーンズ邸(写真:日経アーキテクチュア、以下の写真とも4月17日の11時30分ごろに撮影)
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 1870年(明治3年)に熊本藩の実権を握った実学党(じつがくとう)政権が、熊本洋学校に招いた米国人教育者、リロイ・ランシング・ジェーンズの邸宅として建設した。ジェーンズの影響で多くの生徒がキリスト教に入信し、後に「熊本バンド」と呼ばれるグループを結成。この活動が当局を刺激し、熊本洋学校は1876年(明治9年)に廃校となった。

ジェーンズ邸の入り口周辺(写真:日経アーキテクチュア)
ジェーンズ邸の入り口周辺(写真:日経アーキテクチュア)
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 廃校以降は日本赤十字の熊本県支部などとして使用された。日赤の改築に伴って熊本市が譲り受け、1970年に水前寺公園近くに移築。「熊本洋学校教師ジェーンズ邸」として一般公開していた。コロニア風の地上2階建ての建物は、熊本県内に現存する最古の西洋建築で、県の重要文化財にも指定されている。

 近隣住民の話によると、4月14日の前震で壁面が壊れ、16日の本震で全壊したという。昨夏の台風で倒木被害を受け、修繕が終わったばかりだった。

基礎を残して全壊した(写真:日経アーキテクチュア)
基礎を残して全壊した(写真:日経アーキテクチュア)
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倒壊したジェーンズ邸の瓦屋根。土が多く重量があったと思われる(写真:日経アーキテクチュア)
倒壊したジェーンズ邸の瓦屋根。土が多く重量があったと思われる(写真:日経アーキテクチュア)
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倒壊したジェーンズ邸の外壁(写真:日経アーキテクチュア)
倒壊したジェーンズ邸の外壁(写真:日経アーキテクチュア)
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窓枠がそのまま道に投げ出されていた(写真:日経アーキテクチュア)
窓枠がそのまま道に投げ出されていた(写真:日経アーキテクチュア)
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 ジェーンズ邸の敷地内には、「夏目漱石第3旧居」も移築されているが、こちらは外から見る限り、大きな被害はなさそうだ。

敷地内にある夏目漱石第3旧居は立っている(写真:日経アーキテクチュア)
敷地内にある夏目漱石第3旧居は立っている(写真:日経アーキテクチュア)
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 夏目漱石が熊本で住んだ3番目の家で、漱石はこの家から同僚の山川信次郎とともに「草枕」の旅へ出掛けた。

 被災前のジェーンズ邸の外観は熊本市観光情報サイトを参照。

ジェーンズ邸近くの民家も被害を受けている(写真:日経アーキテクチュア)
ジェーンズ邸近くの民家も被害を受けている(写真:日経アーキテクチュア)
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