防災の日(9月1日)を間近に控えた8月25日号の特集は、「追跡 熊本大地震~耐震先進国の現実」です。

特集の冒頭見開き。背景の写真は7月21日に撮影した熊本県益城町の様子。左上に益城町役場が見える。青色のシートで覆われた被災建物が点々と広がる(写真:叶 悠眞)
特集の冒頭見開き。背景の写真は7月21日に撮影した熊本県益城町の様子。左上に益城町役場が見える。青色のシートで覆われた被災建物が点々と広がる(写真:叶 悠眞)
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 1976年に創刊した日経アーキテクチュアは今年、創刊40周年を迎えました。この間、小誌は国内外の数多くの地震被害を取材してきました。それらの記事を改めて読み返すと、こう思わずにはいられません。

 「なぜ耐震技術が進んだ今の日本で、これほど大きな被害が繰り返されるのか」

 過去の地震においても、専門家たちが総力をかけて被害状況を調査・分析し、それによって日本の建築は技術面や制度面で進化してきました。しかし、その死角を突くように、新たな難問が次々と浮上します。今回の熊本地震でいえば、震度7の大きな揺れが短期間に連続して起こることは、これまで想定していなかった事象といえるでしょう。

 ただ、被害が繰り返されるのは、そうした「想定外」だけが原因ではないようです。過去の地震を通して「教訓」として認識されていたものの、実際の対策には反映されていなかった。あるいは、専門家が教訓と考えていたことが非専門家にはほとんど知られていなかった──。そんなふうに、教訓の「深刻さ」が広く共有されていないことの方により大きな原因があるように思えます。

 筆者は創刊40周年記念号に当たる今年4月14日号から小誌の編集長を務めることになり、その号の巻頭にこう書きました。「さまざまな情報が交錯するなかで、今後も専門メディアとして信頼できる情報を、社会に向けタイムリーに発信していきたいと思います」

 まさにその4月14日の夜に、熊本地震の前震が発生。2日後の16日未明に本震が発生しました。何か不思議な運命を感じずにはいられませんでした。地震発生後、まずは現地取材班から届く第一報をこのサイトで広く一般に発信。雑誌では特集記事や追跡記事を掲載するとともに、前震から2カ月の6月14日、兄弟誌の日経ホームビルダー、日経コンストラクションと共同で「検証 熊本大地震」を緊急出版しました。

 今号の特集は、それからさらに2カ月の間に明らかになった事実や調査結果を、日本全体の地震対策の現状とも照らしつつ、「安心して暮らせる明日」への提言としてまとめました。

 ただ、冒頭にも書いたように、専門家だけでその提言を共有していても、社会の意識は大きく変わりません。 そこで今号は、全国約1800の都道府県・市町村の首長宛てに、無償で送付することにしました。8月29日に発送し、防災の日(9月1日)の前には全自治体に届く予定です。

日経アーキテクチュア2016年8月25日号の表紙。写真は5月21日に撮影した熊本県益城町の様子。7月21日に撮影した上の写真よりもさらに多くの建物に青いシートが掛けられていた。町内で何らかの被害を受けた建物は5000棟に上るとされる(写真:叶 悠眞)
日経アーキテクチュア2016年8月25日号の表紙。写真は5月21日に撮影した熊本県益城町の様子。7月21日に撮影した上の写真よりもさらに多くの建物に青いシートが掛けられていた。町内で何らかの被害を受けた建物は5000棟に上るとされる(写真:叶 悠眞)
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 首長の方はぜひご一読いただき、仕事をともにする職員や建築関係者に、地震対策の疑問について尋ねてみてください。また、首長と話す機会のある自治体職員や建築関係の方は、この号を読んで感じたことを首長に問い掛けてみてください。そうした会話がやがて市民を巻き込む大きなうねりへとつながるかもしれません。この号がそんなきっかけになることを願っています。

特集の記事の一部。宇土市庁舎が崩壊した理由や解体方法についてリポートした。元松茂樹・宇土市市長へのインタビューも掲載している(写真:日経アーキテクチュア)
特集の記事の一部。宇土市庁舎が崩壊した理由や解体方法についてリポートした。元松茂樹・宇土市市長へのインタビューも掲載している(写真:日経アーキテクチュア)