東日本大震災から5年。政府が集中復興期間と位置付けた5年間の最後の年度を終えようとしています。建築は震災復興で十分に役割を果たせたのでしょうか。

 震災直後から、建築家をはじめ多くの建築実務者が被災地に乗り込み、懸命に復興を支援してきました。被災者の声に耳を傾け、手弁当で提案を練り、実現を目指して奔走しました。見返りを求めないその姿勢には頭が下がります。

 しかし残念なことに、良かれと思って提案した計画の多くは行政や法制度などの壁に阻まれて志が遂げられず、被災地で奮闘した建築実務者には挫折感が漂っています。実行力を問われ、被災者の心も次第に離れていきました。

 なぜ建築は、震災復興で思うように役割を果たせなかったのでしょうか。なぜ意欲が空回りする結果となったのでしょうか。日経アーキテクチュア2016年3月10日号の特集「建築の挫折」では、復興支援に関わった当事者たちの肉声を通じて震災復興の教訓を導きました。同じ轍を踏まないために、あえて耳の痛い話をしてもらい、あえて言いにくい反省の弁を吐露してもらいました。

日経アーキテクチュア2016年3月10日号特集「建築の挫折」から
日経アーキテクチュア2016年3月10日号特集「建築の挫折」から
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 東日本大震災における建築家による復興支援ネットワーク「アーキエイド」の活動に感じた限界について、そのメンバーであるシーラカンスアンドアソシエイツの小嶋一浩代表やアトリエ・ワンの塚本由晴代表は率直に語ってくれました。実際に取材してみると、東京から被災地に乗り込んだ建築家だけでなく、独自に活動した地元の設計者ですら専門家としての孤立感を味わっていました。

 自身も復興支援に取り組んだ建築家の内藤廣氏は、建築的な提案が被災地で受け入れられなかった理由について、「建築家は行政からの信頼が無かった、という点に尽きる」と述べています。

 政府の東日本大震災復興構想会議で議長代理を務めた御厨貴・東京大学名誉教授は、「建築の人の特質だが、個別のコミュニティーに合わせた構想をつくる姿勢が強く、目線が住民と一体になってしまう。行政からみると、構図として対立構造になる。本来果たすべき『つなぎ役』ができなかったのではないか」と指摘しています。 

 震災復興は、法制度上できることとできないことを踏まえたうえで、さまざまな関連分野と連携しながら利害関係者の意見を調整し、方向付けを行わなければ前に進みません。時には、大義のために清濁併せのむ度量も求められるでしょう。残念ながら建築界はそんな経験や覚悟に乏しかったと認めざるを得ません。平時からの働きかけが弱く、地域や行政から信頼を得られませんでした。

 翻ると、平時からの取り組みが極めて重要です。個々人が思い思いに取り組むのでなく、組織的に取り組むことも重要になります。建築界を挙げて、地域や行政に組織的、継続的に関与する仕組みを構築する必要があるわけです。その点では、実際に災害が起こる前に被災後の街づくりを考える「事前復興」に対し、積極的に取り組むことには意味があります。地域や行政の信頼を得るアプローチとなり得ます。

 防災の分野では、政府が防災を国家の優先課題と位置付ける「防災の主流化」が叫ばれてきました。それに倣えば、普段から行政の中枢に建築の役割を適切に認識してもらうことも重要です。大震災のような非常時に建築界が組織的に対応するには、野党のネクスト・キャビネット(次の内閣)のように、分野ごとの責任者を明確にしたバーチャルな組織体も効果的かもしれません。

 飛躍が過ぎたかもしれませんが、震災復興の5年間を検証する特集では、いろんなことを考えさせられました。

 建築家などの建築実務者は平時の仕事を通じて、設計などに取り組む自らの方向性を明確にし、それに賛同するクライアントと仕事をすることには長じています。いうなればシーズ志向になりがちです。ところが、震災復興などの非常時には、社会のニーズをしっかりくみ取りながら答えを出していくニーズ志向ともいうべき姿勢が必要になります。その訓練が、日ごろからきちんとできているかどうかも問われています。

 社会のニーズに真正面から向き合ってきたかどうか。組織的なプレーで社会問題に効果的に対処できる体制をいかに構築するか。来るべき災害に備え、建築界が考えていかなければならない問題だと思います。