日経アーキテクチュア2018年3月8日号の表紙は、大きく傾いた高層ビルの外観写真です。「3.11」が近いことから、「東日本大震災の回想か」と思われた方もいるかもしれませんが、違います。

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 この写真は、台湾東部で2月6日夜に発生した地震によって低層階が崩壊した「雲門翠堤大楼」(台湾・花蓮市)です。この地震は、花蓮市などで最大震度7級を記録(日本の震度7に相当)。死者17人のうち、14人は雲門翠堤大楼にいた人々で、特に死者が多く出たのは2階南側に並んでいたホテル客室でした。

 日経アーキテクチュア編集部では地震翌日の朝、現地に記者を派遣することを決め、同じく現地入りする予定であると聞いた和田章・東京工業大学名誉教授と連絡を取り合って、2月9日、10日の2日間、被害状況や現地の専門家を取材しました。その結果をウェブで速報するとともに、今号のNewsクローズアップ「台湾東部・花蓮地震 高層ビル4棟はこうして倒壊した」にまとめました。

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 実は、地震の翌朝、記者を現地に出すかどうかを決める際には少し迷いました。現地の取材規制の状態なども日本では分からず、行っても取材ができるのか。そもそも日本の建築実務者に役に立つ情報があるのか……。正直に言うと、行かせると決断したときに強い確信があったわけではありません。ですが、今回は「現地特派」にした意味が大いにあったと思います。

倒壊した雲門翠堤大楼の北東側で、上下に引っ張られて断裂した柱。太さは約800mm角とみられた。柱の中に入っていた主筋は、みな同じ高さで重ね継ぎ手を施してあったので、一斉に抜けてしまったと推測される(撮影:日経アーキテクチュア)
倒壊した雲門翠堤大楼の北東側で、上下に引っ張られて断裂した柱。太さは約800mm角とみられた。柱の中に入っていた主筋は、みな同じ高さで重ね継ぎ手を施してあったので、一斉に抜けてしまったと推測される(撮影:日経アーキテクチュア)
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 地震の多い日本では、他国で大きな地震があっても「地震を想定して構造設計をしていなかったのだろう」と思ってしまいがちです。けれども、台湾は地震国です。かつて台湾では1999年9月21日に「集集大地震」が発生。2000人以上の人命が奪われ、それを機に耐震設計法が見直されました。実は花蓮市は、活発な米崙(ミルン)断層が地下に走り、台湾のなかでも厳しい規制がかかっていました。

 そうした地震に敏感なはずの都市で、なぜ高層ビルは倒壊し、多くの死者を出したのか。記事の中心は、現地のエンジニアと和田章・東京工業大学名誉教授の取材を通して推測した倒壊メカニズムです。具体的な内容は記事を読んでいただくとして、それを考えることの有用性は、和田名誉教授の次の言葉を読めば分かっていただけるかと思います。

 「災害は、自国だけで見ていたら数十年に1度しか起こらないかもしれないが、世界規模で見れば、毎年のように様々な場所で被害が起こっている」「私たちは、互いに世界の災害から学ばなければいけない」 (和田名誉教授)

左に写るのが、花蓮市で地震被害を調査する和田章・東京工業大学名誉教授。右は構造エンジニアで台南市結構工程技師公会の施忠賢・常務理事(中)と、同・彭光聡氏(右)。2月11日に撮影(撮影:日経アーキテクチュア)
左に写るのが、花蓮市で地震被害を調査する和田章・東京工業大学名誉教授。右は構造エンジニアで台南市結構工程技師公会の施忠賢・常務理事(中)と、同・彭光聡氏(右)。2月11日に撮影(撮影:日経アーキテクチュア)
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