合計10本に及んだ今年のMIPIM特派報告は、日経不動産マーケット情報の本間記者に加えてライターの篠田香子氏が担当した。おそらく日本人のなかで最も長いMIPIM参加経験を持つ彼女に、この世界最大の不動産イベントの歴史を振り返ってもらった。(編集部)

 23年前に発足したころのMIPIMは、フランス国内の不動産業者を対象にした数百人規模のものであったという。以後、次第に西欧の近隣諸国からの参加者が増え、今日では国際規模の不動産コンファレンスとして不動の地位を築いている。私が10年前の2000年に初めて参加した時には、60か国から約1万5000人が参加し、不動産金融という国際的なビジネスの場として開花し始めていた。

 最初のころ、私には優雅なリゾートを楽しむ余裕はなく、街を埋めつくす白人ビジネスマンたちの間で右往左往するばかりだった。参加者から多少ごつい印象を受けたのは、当時のMIPIMに今より不動産業界色が強かったからだろう。不動産という極めてドメスティックな業種でありながら、その人々がまとう世界共通の雰囲気があった。まだ喫煙に関する規制が緩かったせいもあるだろうが、随所で葉巻が強く香った。

 その後のMIPIMは数年のうちに国際不動産金融の舞台へと変貌を遂げた。次第に米国英語が耳に付くようになり、参加者のスタイルもどこかウォールストリート風にあか抜けてきた。

 マネーゲームの追い風を受け、MIPIMはその規模と派手さを加速させてゆく。目を奪う造形の大型プロジェクト模型。美しく着飾った女優のようなコンパニオン達。カンヌの夜空を染め上げた無数の花火。クルーザー(昨今はもっぱら係留されているだけだが)で繰り広げられる洋上パーティ…。ピークの2008年3月には、世界90各国から3万人近い参加者が訪れた。この年のオープニングパーティーは2カ所のホテルで行われ、ドバイは奇想天外な大型プロジェクトで話題を集めた。

オープニングパーティー会場のCarlton Hotel(写真:MIPIM)

ビーチに不釣り合いなスーツの紳士たち(写真:篠田 香子)

 だが、リーマン・ショック後の2009年にMIPIMは大きな節目を迎える。参加人数が1万人以上減少。まだ2万人近い参加者がいるとはいえ、カンヌの風土までが寒々と感じられた。金融工学でなく不動産の原点を見直そう、という声が強くなった。意見や情報交換をする場がより求められ、パネルディスカッションの数が増えた。討論会で生々しい発言も聞かれるようになった。

 政治家や市長など、行政のトップが登場するようになったのもこのころだ。プーチンの懐刀といわれた、デミトリー・コザック副首相らが「ウラジオストクを極東の中心地に」と乗り込んできた時は、自分の生活に近すぎる隣人のプロジェクトに脅威さえ覚えたものだ。以後、ロシア勢は潤沢な資源マネーを手に、MIPIMで着実に存在感を高めている。世界に名だたる多くの大物建築家らが顔を見せるようになったのは、営業効果を狙ってのことだろう。マネーゲームにパワーゲームが加わり、ドラマのプロットは一層興味深くなった。

 世界経済の不透明感が続く近年も、展示会場には度肝をぬくようなプロジェクトが時々登場したり、新興諸国が思わぬ勢いをみせることがある。以前より少し規模が小さくなったものの、会場や周辺のホテル、レストラン、クルーザーでは、パーティや会食、懇親会が連日開催されている。きっと、踊り始めた会議は、踊り続けなければならないのだ。

ドイツの各ブースはビールを気前よく振る舞う(写真:MIPIM)

不動産関係者がロンドンからカンヌまで自転車で旅するチャリティーイベント、Cycle to Cannes(写真:本間 純)

会議は踊る(写真:MIPIM)



篠田香子(しのだこうこ)
フリーライター
富裕層マーケティング雑誌を中心に世界のライフスタイルをレポートする一方、海外30都市での生活経験を生かして都市開発の動向を取材。著書に「世界で探す私の仕事」(講談社)、「世界あちこち隠し味」(全日出版)など。アジア太平洋不動産協会(APREA)の東京事務局を兼任。香港プレス・クラブ所属。香港生まれ。カンヌでのMIPIM取材歴は10回を数え、うち本間記者と同行した2009年以降の4回では主に開発プロジェクト関連の展示を取材