西武池袋線高架化、44年の軌跡

 西武池袋線の連続立体交差化の歴史は、1971年1月に桜台─石神井公園間の高架複々線化が都市計画決定されたことに始まる。このうち最も早く完成したのは、練馬区を縦断する笹目通りの踏切解消が急務だった現在の練馬高野台駅付近(富士見台─石神井公園間)の約1.6kmで、1987年12月に高架化。当時は両駅間にまだ駅はなかったが、7年後の1994年12月には複々線化とともに練馬高野台駅が開業した。

西武池袋線の連続立体交差化区間。桜台─大泉学園間は約7.6kmで、計28カ所の踏切が解消された(写真:小佐野カゲトシ)
西武池袋線の連続立体交差化区間。桜台─大泉学園間は約7.6kmで、計28カ所の踏切が解消された(写真:小佐野カゲトシ)

 次いで1990年10月に桜台─練馬間約2.1kmの工事が開始され、同区間は1997年8月に高架化が完成。練馬─富士見台間も1994年3月に工事に着手し、まず中村橋─富士見台間が1997年12月に完成した。

 残る練馬─中村橋間の高架化が完成したのは2001年3月だが、この区間の工事で注目されたのは、両駅のほぼ中間地点を横切る目白通りの「逆立体化」だ。もともと道路が線路をまたぐ形で立体交差化されていたため、線路の高架化に合わせて道路を地上に下ろし、交差形態を逆転させる大工事が2001年3月3日深夜から翌4日朝にかけて行われた。

 この区間の完成によって桜台─練馬高野台間の高架化が完了し、踏切計19カ所を解消。複々線化も2003年3月に練馬─富士見台間が完成し、この時点で桜台─練馬高野台間の高架複々線化が完了した。

2013年11月に下り線が高架化された直後の踏切(石神井公園第5号)。旧下り線(手前)は線路がすでに切断されている(写真:小佐野カゲトシ)
2013年11月に下り線が高架化された直後の踏切(石神井公園第5号)。旧下り線(手前)は線路がすでに切断されている(写真:小佐野カゲトシ)

 今回の練馬高野台─大泉学園間の高架化完了によって、西武池袋線は桜台─大泉学園間の7.6kmが高架線となり、同区間にあった計28カ所の踏切が解消された。都市計画決定から44年、最初の区間が高架化されてから28年。練馬区を東西に横断する大動脈は新たな時代を迎えた。