建築のプロは安全・安心をいかに実現していくべきか。耐震工学の権威で日本建築学会の前会長である東京工業大学の和田章名誉教授は、「建築の耐震」から「都市の耐震」への意識改革が必要だと語る。(日経アーキテクチュア)

和田 章氏(写真:木村 輝)
和田 章氏(写真:木村 輝)

大震災時の機能不全を防げ

 「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉を残した寺田寅彦という物理学者をご存じの方は多いだろう。彼のエッセイに「鎖骨」という一編がある。

 子どもが階段から落ちて鎖骨が折れてしまった。そこで医師に見せたところ、鎖骨は身体の中でも安全弁のような役割をしていて、鎖骨が先に折れることで肋骨などの大事な部分を衝撃から守っているのだと教えられる。寺田はそれを聞き、ならば建物にも鎖骨のようなものがいるのではないかと建築の専門家に言ってみたのだが、誰も相手にしてくれなかったと記している。このやり取りがなされたのが戦前のことだということには、改めて驚かされる。

 今やこの考え方を否定する人はいないだろう。イラスト〔図1〕は私が1991年ごろ、阪神大震災が発生する前に描いた概念図だ。ビルを建てる際、まず鉛直力を支える柱・梁を計画し、大地震時に生じる水平力についてはアンボンドブレースなどの制振装置を別途設けておく。制振装置が今の話の鎖骨に当たる。傷んだら交換すればよい。こうした安全に対する考え方は、例えば自動車のバンパー、電気機器のヒューズやブレーカーなども同じだ。

〔図1〕現代の建築構造は寺田寅彦が説く「鎖骨」に学べ
鉛直力と水平力を負担する部材を分離した構造の概念図。制振部材は先に大地震の生け贄になり、基本骨組みへの衝撃を和らげる役割を担う(資料:和田 章・東京工業大学名誉教授)
鉛直力と水平力を負担する部材を分離した構造の概念図。制振部材は先に大地震の生け贄になり、基本骨組みへの衝撃を和らげる役割を担う(資料:和田 章・東京工業大学名誉教授)

 現代の自動車はバンパーが潰れるだけでは済まない衝撃、例えば正面衝突の際などに、エンジンルームが先に壊れることで、内部の人間を守るようにできている。人間さえ生き残れば、保険金で自動車は買い直せる。建物も、例えば建築基準法は同じ考え方をしている。数百年に1度の大地震に際しても、倒壊・崩壊しなければ傾いたままになってもよい、としている点がその代表だろう。