少子高齢化が進み、人口は減り、縮退社会に向かう今、私たちはこれまでと同じ方法で働いたり暮らしたりしていてもいいものか。社会構造のひずみに目を向けて、ソリューションとクリエイティビティが一体となった仕事を実践する二人に、自分・地域・社会を貫く課題や、その解決のアイデアを聞いた。

左から建築家、HAGISO代表、東京藝術大学建築科非常勤講師 宮崎氏、Nurse&Co代表取締役、クリエイティブプロデューサー/シェフ、IWCJ財団副理事 寺脇氏、ライター、NPO法人南房総リパブリック理事長 馬場氏(写真:西田香織)
左から建築家、HAGISO代表、東京藝術大学建築科非常勤講師 宮崎氏、Nurse&Co代表取締役、クリエイティブプロデューサー/シェフ、IWCJ財団副理事 寺脇氏、ライター、NPO法人南房総リパブリック理事長 馬場氏(写真:西田香織)

自分・地域・社会を貫く視点を持つ

宮崎晃吉[みやざき・みつよし] 1982年群馬県生まれ。2008年東京藝術大学大学院修士課程修了後、磯崎新アトリエ勤務。13年より建築家としての仕事と併せて、築60年の木賃アパートを改修した「最小文化複合施設」HAGISO代表を務める。第7回、8回リノベーションスクール@北九州でユニットマスターを担当(写真:西田香織)
宮崎晃吉[みやざき・みつよし] 1982年群馬県生まれ。2008年東京藝術大学大学院修士課程修了後、磯崎新アトリエ勤務。13年より建築家としての仕事と併せて、築60年の木賃アパートを改修した「最小文化複合施設」HAGISO代表を務める。第7回、8回リノベーションスクール@北九州でユニットマスターを担当(写真:西田香織)

馬場 今あるものを使い、リノベーションを通じて新しい価値を生み出そうとするまちづくりや仕事づくりの動きが、全国に広がっています。リノベーションという手法が定着しつつある中で、身近な場所や生活に埋もれていた価値を見いだす眼力のある個人も増えてきました。

 そうした人たちのあいだで、量的な成長の時代から引きずる社会構造に与せず、自分の手で仕組みからつくり上げる静かな革命、とでもいうべき動きが起こっている。お二人の活動には、そんな時代の傾向がはっきり現れているように感じています。まず、今の仕事に就くことになった経緯をお聞かせください。

 宮崎さんは、東京の谷中でHAGISOというカフェを運営していますが、出身は建築ですか?

宮崎 コテコテの建築畑の人間です。東京藝術大学の大学院を修了後は磯崎新アトリエに就職し、海外の大きな公共建築の設計に携わらせてもらっていました。日本では公共建築が活用されなくなったまま建ち残り、ランニングコストだけでヒーヒー言っていることを知りながら、かつての日本のような建設ラッシュの中国にいる、という状況でしたね。退社後、2006年から11年まで住んでいた木賃アパートをリノベーションして、今はそこでHAGISOというカフェを運営しています。

宮崎氏が運営する「HAGISO」外観。学生時代に住んでいた東京・谷中の木賃アパートをリノベーションして使っている(写真:HAGISO)
宮崎氏が運営する「HAGISO」外観。学生時代に住んでいた東京・谷中の木賃アパートをリノベーションして使っている(写真:HAGISO)

馬場 何がきっかけだったのですか?

宮崎 お寺の住職でもある大家さんが、震災を機に建て替えを決めたことです。僕たち入居者は、建物に“死に化粧”を施して別れを惜しむ「ハギエンナーレ」という葬式イベントを開催しました。建物自体を作品にするというもので、開催中に延べ1500人もの来場者がありました。オーナーもこの状態を存分に楽しんでくれたのですが、「壊すの、もったいないかも」とつぶやいたのを僕は聞き逃さなかった(笑)。あわてて、新築案、駐車場案、リノベーション案という3パターンの利回りを提示して「いちばん利回りがいいのはリノベですね」と用意しておいた設計案を出したところ、熱意を買ってこの案を受けてくれまして(笑)。それで、カフェ、ギャラリー、美容室を併設する施設をつくりました。

 僕はここを「最小文化複合施設」とうたっているんですが、公共のお金を使わずとも民間で公共施設がつくれるということが示したくて、持続可能な自立した経済サイクルをつくって運営しています。

宮崎氏が運営する「HAGISO」。カフェとして営業する以外に、宮崎氏自身の企画によるアート系のイベント、展示などによって集客している(写真:HAGISO)
宮崎氏が運営する「HAGISO」。カフェとして営業する以外に、宮崎氏自身の企画によるアート系のイベント、展示などによって集客している(写真:HAGISO)

馬場 次に、寺脇さんは売れっ子のケータリングシェフですが、最初から食関係の勉強をしたというわけではないのに、なぜそれを始めたのですか?

寺脇 親から税理士を継いでほしいと言われていましたが、全然向いていないことがすぐ分かって。海外旅行で様々な国を訪れる中でアンティークの洋服や家具が大好きだと気付き、それらを個人輸入してリメイクして売る、という仕事を学生時代から始めました。 でもある時、雇っていた人に店のものを横領されるという事件があり、精神的に大きなダメージを受けて…もう、全く違うことをしようと考えたんです。以前から興味のあった「食」を仕事にしようと思い立って、海外でのパーティー参加の経験をヒントに、ケータリング事業を始めました。

馬場 横領…すごい経験ですね。転向したのは何歳の時でしたか?

寺脇 30歳です。料理人の世界は15、6歳から勉強を始めるのが普通なので、15年分を巻いて追い越すためには独立してやるしかない、という覚悟がありました。他と差別化を図るためにギリギリまで食材原価率を上げたり、パーティーを行なう企業の特徴が際立つようなメニュー開発を心掛けていくと、次第に飲食業にも出たいファッション会社からプロデュースを頼まれるようになり、今ではフードコンサルとケータリングの仕事が半々です。6年前からは都内の各国大使館に子どもを集めてのイベントも手掛けています。

日本近代文学館(東京・駒場)内のカフェ「BUNDAN COFFEE & BEER」用に寺脇氏が開発した文豪メニュー「谷崎潤一郎の『蓼喰ふ虫』のレバーパテサンドイッチ」(写真:NURSE&Co)
日本近代文学館(東京・駒場)内のカフェ「BUNDAN COFFEE & BEER」用に寺脇氏が開発した文豪メニュー「谷崎潤一郎の『蓼喰ふ虫』のレバーパテサンドイッチ」(写真:NURSE&Co)
寺脇氏が、インドのケララ州で南インド料理を学んでいる際の様子(写真:NURSE&Co)
寺脇氏が、インドのケララ州で南インド料理を学んでいる際の様子(写真:NURSE&Co)
ケータリングシェフとしての寺脇氏の活動。左はウエディング系ケータリングの様子、右はファッション系ケータリングの様子(写真:NURSE&Co)
ケータリングシェフとしての寺脇氏の活動。左はウエディング系ケータリングの様子、右はファッション系ケータリングの様子(写真:NURSE&Co)

寺脇氏が代表を務めるNURSE&Coが、ドミニカ共和国大使館と開催したイベントの際の様子(写真:NURSE&Co)
寺脇氏が代表を務めるNURSE&Coが、ドミニカ共和国大使館と開催したイベントの際の様子(写真:NURSE&Co)