東京電力福島第一原子力発電所で、事故の復旧や廃炉に向けて働いているのは誰か。一般の人にこう尋ねると、どんな答えが返ってくるだろう。「作業員」か、あるいは「東京電力」か。いずれも正しいが、重要な関係者が忘れられがちだ。建設会社である。

 がれき撤去や汚染水対策などを進めるには、建設会社の知恵が欠かせない。ところが、黒子として黙々と仕事をこなす彼らの存在感は、驚くほど薄い。担当者の氏名はおろか、社名がニュースに載ることすら極めて珍しく、その“息づかい”のようなものが、ほとんど伝わってこないのだ。

 このままでは、工事の実績こそ記録として残れども、現場で働く技術者が課題に直面した際に何を考え、どのように問題解決に当たったかまでは、残らないかもしれない。未曾有の原発事故の「後始末」をどう進めたか、記録に残さないでいいのか――。そんな風に考え、筆者は2011年以降、日経アーキテクチュア、日経コンストラクションの記者として、福島第一原発の復旧工事に関する記事を書いてきた。

 のっけから偉そうなことを書いたが、初めからこのように考えていたわけではない。建設会社が原発で何をしているのか、どんな技術を武器に復旧工事に立ち向かっているのか、専門誌の記者として純粋に興味があった。

 最初に記事にしようと考えたのは、水素爆発した1号機原子炉建屋のカバーリング工事だった。高さ50mを超える鉄骨造の建屋カバーの建設に当たって、柱と梁、壁・屋根パネルを合計62パーツにユニット化し、かみ合わせるだけで組み立てられる工法を清水建設が編み出した。

 東京電力は質問に答えてくれるものの、詳しいことが分からない。やはり、工事を担当する清水建設に聞かなければならないのだが、建設中ということもあってか、何度か取材を断られてしまった。2、3カ月間、ほとんどアポが入らない状態が続く。周辺取材をしても、断片的な情報しか分からない。

 どうやって特集記事を執筆するつもりだったのか、今から考えるとヒヤヒヤするが、締め切り目前に取材に応じてもらえた。このときにまとめたのが、日経アーキテクチュア2011年12月10日号特集「瀬戸際の攻防 原発カバー工事」という記事だ。

1号機原子炉建屋のカバーリング工事についてまとめた特集記事(資料:日経アーキテクチュア)
1号機原子炉建屋のカバーリング工事についてまとめた特集記事(資料:日経アーキテクチュア)