「プロボノ」という言葉がある。「公共善のために」を意味するラテン語「Pro Bono Publico」を語源とする言葉だ。プロが職業上持つ知識やスキル、経験を生かして社会貢献するボランティア活動を指す。東日本大震災の被災地にはたくさんのプロボノが生まれた。
プロたちが未曾有の災害を目の当たりにし、「何か役立てることはないか」と、居ても立ってもいられず被災地に駆けつけた。被災状況を把握する、避難所の住環境を改善する、仮設住宅の建設に協力する、職人を派遣する、建材や工具を送る、街づくりをサポートする、被災者の悩みに耳を傾ける――。
読者のみなさんもその一人だったかもしれない。そしてプロボノの多くは、今も被災地に寄り添って活動を続けている。
ISHINOMAKI 2.0(石巻2.0)もその一つ。東日本大震災をきっかけに、宮城県石巻市で生まれた有志のグループだ。地元の商店主やNPO職員に加え、プロボノとして建築家、街づくり研究者、広告クリエイター、ウェブディレクター、学生などが全国各地から集まり、自然発生的に発足した。中心メンバーの一人である西田司氏(オンデザインパートナーズ代表取締役)は、「各自ができることを探すことから始めた」と話す。
日経ホームビルダーは、住宅系雑誌8誌(LiVES、MODERN LIVING、住まいの設計、MY HOME+、コンフォルト、建築知識ビルダーズ、建築知識、日経ホームビルダー)による復興応援プロジェクト「hope&home」に参加している。そのメンバーなどが協力し、石巻の街なかに本好きの人たちが気軽に集まるための拠点「石巻 まちの本棚」をつくった。その縁で、たくさんのプロボノが被災地で活動していることを知った。
石巻2.0のプロジェクトの一つである石巻工房は、地域に根付く産業を目指していち早く株式会社化し、世界的なDIY家具メーカーとして活動している。震災直後に工具や木材を集めて市民やボランティアらに提供する市民工房のスペースを用意し、芦沢啓治氏(芦沢啓治建築設計事務所代表取締役)らデザイナーが中心となって立ち上げた。「復興という冠が外れたとしても欲しいと思えるものを提供し、現地の雇用に結びつけたかった」と芦沢氏は言う。
「震災前の状態に戻すのではない」
東北地方の沿岸部を中心にした被災地の多くは、震災前から人口減少が進み、中心市街地も衰退する傾向にあった。そこに巨大地震が起こり、津波が押し寄せた。「震災前の状態に戻すのではなく、新しい石巻にしたい」。石巻2.0代表理事の松村豪太氏はこう語る。
プロボノの取り組みは、一過性のボランティア活動では終わらない。復旧から復興へとステージが移る過程を通し、行政や事業者などとタッグを組み、地域のコミュニティーや街づくり、産業に、深く、広く、長く関与し続けていく。
災害が起こるたびに、プロはジリジリとした焦燥感を抱くと思う。建築や住宅、土木、不動産に携わるプロはなおさらだ。住民の生活に根差した、こうした分野のプロが持つ専門的なノウハウは、被災地の復興には欠かせない。プロボノに適した職種とも言える。
これからも甚大な災害は起こり得る。その時に私たちは何ができるだろう。
20年前の阪神大震災と違い、4年前の東日本大震災はSNSが普及し始めた時期だった。ツイッターやフェイスブックなどを使っている人なら、当時の投稿ログを読むことができる。メールや写真、動画などもアーカイブとして蓄積されている。
今は誰もがデジタルデータを残せる便利な時代だ。あの日、自分が何を考え、どのような行動を取ったのか。そしてその後、何をしていったのか。記録を基に当時を振り返ってみてはどうだろうか。職能を見つめ直す機会になると思う。