1995年1月の阪神大震災。あれほどまでに壊滅したインフラを目にすることになるとは想像していなかった。その数年前、米国で発生したロマ・プリータ地震では高速道路の落橋や崩壊があちこちで起こったが、まだ学生だった自分にとっては文字通り「異国の出来事」だったのだろう。一方、記者の立場になってから遭遇した阪神大震災では、自然の猛威に対する土木技術の「無力さ」を感じずにはいられなかった。同様の思いを抱いた方も多かったのではないだろうか。

 ただ、その後の復旧の様子を見聞きしていくうちに、土木技術は「決して無力ではない」という思いが強くなっていった。


日経コンストラクション1995年6月23日号の「ズームアップ」から。カメラマンは玉井強志氏
日経コンストラクション1995年6月23日号の「ズームアップ」から。カメラマンは玉井強志氏


 上の誌面は、阪神高速湾岸線「六甲アイランド大橋」の復旧工事の記事だ。ダブルデッキのアーチ橋が橋軸直角方向に3mずれ、傾いた状態で橋脚の上にとどまっていた。それを、フローティングクレーンで高さ2m分だけ持ち上げ、元の位置に架け直す。新設時にアーチ橋を一括架設するのに比べてはるかに難しい作業だ。構造物が震災でダメージを受けている可能性がある、既設の舗装が載っているので新設時よりかなり重い、高く吊り上げられないので既設の部材と接触する可能性がある、といったことが理由だ。

 もちろん前例のない工法だった。「3mずれた橋を元に戻す」という事態を事前に想定できるわけもなく、混乱を極めた震災後の約2カ月間のうちに、一から施工方法を考える必要があった。様々な工法を検討するなかでこの工法にたどり着いたのは、難易度は高くとも、少しでも時間をかけずに復旧できる工法だったからだという。