阪神大震災発生から4日後の土曜日。入社2年目だった私は休みを利用して、早朝の新幹線に飛び乗った。編集部からのアサインはなかったが、一記者として何かを伝えなければという使命感が先立った。多くの人が支援物資を荷物とするなか、重い一眼レフカメラと大量のフィルムを担いでいることに若干の引け目を感じつつ、神戸に向かった。

 復旧したばかりのJR甲子園口駅に降り立ち、何時間も歩いて神戸市街へ。どこも惨憺(さんたん)たるありさまで、密集市街地には想像だにしなかった光景が広がっていた。倒壊したビル、折れた電柱と垂れ下がる電線、燃え尽きた住宅……あらゆるものに圧倒されながら夢中でシャッターを切った。

神戸市長田区の住宅密集地は火災で焼け野原に(写真:神戸市)
神戸市長田区の住宅密集地は火災で焼け野原に(写真:神戸市)

 その時だ。「足元にまだ人が埋もれているよ」。ふいに住民らしき男性に声をかけられ、がれきの山から慌てて飛び降りた。それが本当かどうかはわからない。しかし平静を装った口調のなかに、救助とは無縁のマスコミや調査隊に対するいらだちが感じ取れ、その瞬間、多くの人が亡くなったことが急に現実のものとして胸に迫ってきた。周辺に響いていたであろう重機やヘリコプターの音は思い出せないが、その言葉は今でもはっきりと耳に残っている。

 建設・不動産系専門メディアの記者である以上、災害報道においては構造物の被害に焦点を当てることが使命となる。被災したばかりの当事者にはなかなか理解してもらえないかもしれないが、我々の報道がより良い街づくりに役立てば、結果的に将来の人命を救うことになるはずだ。そう信じて神戸市を西に横断、さらに淡路島へと取材の歩を進めた。

 あれから20年。政府の地震調査委員会は昨年12月、全国地震動予測地図を改訂した。今後30年以内に震度6弱以上の地震に見舞われる確率が大きく引き上げられ、横浜や千葉では70%以上、東京・名古屋・大阪では20%~50%となった。交通事故で負傷する確率は30年以内に24%であるから、決して低い値ではない。

今後30年以内に震度6弱以上の地震に見舞われる確率(資料:文部科学省 全国地震調査研究推進本部「地震動予測地図2014年版」)
今後30年以内に震度6弱以上の地震に見舞われる確率(資料:文部科学省 全国地震調査研究推進本部「地震動予測地図2014年版」)

 死傷者を減らすためには、耐震基準を満たさないビルの補強・建て替え、密集住宅地の解消が急務。ただ、そこには日本の強い私的所有権、さらには「住み慣れた我が家を手放したくない」という住民感情が大きく立ちはだかる。「この家で死にたい」と願うお年寄りも多く、こればかりはお金では解決できない難題だ。

 阪神・淡路大震災からの復興の過程では、多くのコミュニティーが失われ、孤独死する老人も多かったと聞く。地域のつながりを維持しつつ、都市の防災対策をどう進めていくか。震災取材を経験した記者として、社会とともに考えていきたいと思う。