阪神大震災は私の仕事や生き方に少なからぬ影響を及ぼしました。例えば日経ホームビルダーという住宅専門誌は、阪神大震災の経験がなければ今の形では誕生していなかったかもしれません。

 当時、土木専門誌の日経コンストラクション編集部で記者をしていた私は、震災の翌日に大阪に入り、旧知の地盤工学系の学者とともに海からポートアイランドに上陸しました。液状化をはじめとする地盤関連の被害について、現地の様子を把握することが目的でした。

 しかし、数日間、阪神間を歩き回ってシャッターを切ったのは、地盤関連の被害よりも住宅関連が大多数でした。生活を守るはずの住まいが無残にひしゃげてつぶれ、その結果、命を失ったり、生活を壊されたりした人々の様子に目を奪われてしまったのです。

南面の開口部が大きく壁が少ないために1階部分が大きく傾いてしまった住宅(写真:日経アーキテクチュア)
店舗併用住宅も地震動が大きかった一帯では軒並み倒壊した(写真:日経アーキテクチュア)
南面の開口部が大きく壁が少ないために1階部分が大きく傾いてしまった住宅(写真上)。店舗併用住宅も地震動が大きかった一帯では軒並み倒壊した(写真:日経アーキテクチュア)

 建築を専攻して建設分野の専門記者になりながら、当時は木造住宅の耐震性能についての問題意識をさほど持ち合わせていませんでした。漫然と「命は守ってくれるもの」と考えていた住宅が、おびただしい数で無残に倒壊・圧壊した現実を目の当たりにすると、言葉ではうまく表現できない、見ている風景がゆがみだすような気持ちになりました。

 取材班の一員として取材・編集に携わった書籍「阪神大震災の教訓」(1995年3月発行、日経アーキテクチュア編)には、木造住宅の被害に関して以下のように書かれています。

在来木造工法の家屋すべてが地震で壊れたわけではない。
どのような木造が弱く、どのような木造が強いのか、
そしてどう改善していくべきなのか、
今回の地震被害の冷静な分析の中から明らかになっていくはずだ。

 このときの強烈な体験が大きな三つの編集方針のひとつに「住宅性能の向上」を掲げた「日経ホームビルダー」の創刊へとつながり、私自身も人命や財産を左右しかねない耐震・防耐火・断熱などの住宅性能を掘り下げる取材活動に力を入れていくことになりました。社内で新しい雑誌を立ち上げるかどうかを議論する場でも「見えない性能を高めることの重要性と方法を読者に伝える」という大義は創刊を後押しする大きな原動力となりました。

 人は自然の一部ですから自然を完全に克服することはできません。しかし、自然に学んでよりよく生きることはできます。そのためには、冷静にまっすぐ見ること、忘れないこと、思考停止せずに考え続けることが重要であると阪神大震災から20年を機に、再度、自らに刻みたいと思います。これは経験工学と呼ばれる建築や土木の本質でもあると思います。20年前の1月17日未明、阪神地区を襲った大地震によって犠牲になった人々、生活の場を失った人々にあらためて思いを寄せます。

神戸市灘区の大石-新在家間で阪神電鉄の始発電車は脱線。高架下に連なっていた住宅はつぶれ、犠牲者も出た(写真:日経アーキテクチュア)
神戸市灘区の大石-新在家間で阪神電鉄の始発電車は脱線。高架下に連なっていた住宅はつぶれ、犠牲者も出た(写真:日経アーキテクチュア)

<訂正>
一番下の写真の説明文中、電車が脱線したのは「大石-新在家間」の誤りでした。お詫びして訂正します。(2015年1月16日12時45分)