阪神大震災がきっかけ
鉄道構造物の耐震性を向上させる取り組みは、1995年に起こった阪神大震災がきっかけだ。例えば山陽新幹線は、同震災で新大阪-姫路間の83kmが被災。早朝で運行前だったこともあり死傷者こそいなかったものの、高架橋が落ちるなどして復旧までに81日を要した。
これを教訓に耐震基準が1998年に引き上げられ、鉄道各線で耐震補強が進んだ。2011年の東日本大震災では、東北新幹線が大宮-いわて沼宮内間の536kmと長い区間で被害を受けたものの、落橋などの致命的な被害はなく、49日で運行を再開した。
一方、同じJR線でも東京近郊などの在来線区間では、対策が遅れ気味だった。新幹線への対策を優先したほか、高架下にテナントが多数入居している、場所が狭くて施工しにくいといった都市部ならではの課題があった。
2011年には東日本大震災が起こり、首都直下地震の危険性がさらに声高に叫ばれるようになった。東日本旅客鉄道は2012年、総額3000億円を投じて都市部の鉄道構造物の地震対策を強化すると発表。5年間を重点期間と位置づけて、都内各所で対策が加速しだした。
努力の継続が欠かせない
阪神大震災の日、筆者は東京・秋葉原のパソコンショップに出かけていた。当時、パソコン雑誌の編集部に所属しており、朝から取材だった。昼ごろ帰社する際に乗ったJR総武線は、山手・京浜東北線の高架のさらに上を超える構造。もし、ホームで電車を待っている時に強い揺れに見舞われていたら、相当な恐怖を覚えただろう。
帰社前に編集部に電話すると、先輩記者が「気を付けて帰ってくるように」と声をかけてくれた。一方、過密な都市空間で被災を免れるために、利用者ができることには限界があり、インフラ側の対策が欠かせないとも感じた。
既存の都市空間を安全なものに変えようとすると、様々な課題にぶつかる。高架下に店舗があるケースでは、工事に当たって相当な配慮が必要だ。アメ横は集客力がありながらも小規模な店舗が多く、一時的であっても移転や休業は死活問題につながりかねない。にぎわいそのものが街の魅力になっており、移転して顧客が付いてきてくれるとは限らない。加えて、もし耐震補強した後に雰囲気が変わってしまうと、街の魅力そのものが損なわれる。
利用者の安全確保が第一とはいえ、そこで商う人たちに過大な負担を与えてよいはずがない。構造物を管理する側や工事する側など関係者は、難しい舵取りをしながら計画を立案・推進していく必要がある。地道な努力を続けることで、確実に安全性は高まっていく。こうした心構えを持続させることは建設実務者の責務といえる。
その意味では、我々専門メディアも同じだ。苦い経験を風化させないよう報じていくことはもちろん、関連する新しい技術や学ぶべき事例などを積極的に伝えていくことが求められる。こうした行動を通して、建設の世界で少しでも役立ててもらえる存在になりたいと考えている。