アルジェリアの事件があってから、前に働いていた会社のことをあれこれ考えることが多い。特に今思うのは「同じ釜のメシ」、言い換えれば共同体験についてだ。

 私が入社した当時の日揮では、理系・男性の新入社員の多くは配属後しばらくすると内外の現場駐在に散った。その配属を前に新入社員はかなり長期間、泊まり込みの集合研修を共にし、その後、5つあった社員寮に割り振られた。

 寮では年に一度の寮祭があり、寮対抗の体育祭があった。寮祭は一大イベントで新入社員が運営を任され、可愛い女の子を動員できなかったり、イベントの出し物がイマイチだったりすると、寮長以下、先輩方にきっちり絞られた――。

 私がいた寮は芝生を囲んだコの字型の古い建物で、日が暮れていくなか、ビールを飲みながら踊ったり、歌ったりした一日は、20年以上が過ぎた今でもクリアな記憶として残っている。

 当時はかなり暑苦しいと思った仕組みだったが、振り返るとよく考えられたシステムだった。同社は海外における人材育成で評価されることも多いが、それを下支えする重要なインフラになっていたのだと思う。同期の集合研修と先輩後輩の寮生活という二重の器で、自然にタテヨコの共同体験をするように設計されていた。

 犠牲になった社員の一人は私の1年後に同じ寮に入ってきた。底抜けに陽気だけど、真面目で面倒見のよい男で、早くから海外の大型プロジェクトを責任ある立場で任されていた。風呂上りの寮の食堂で顔を合わせると青臭い議論で熱くなることも度々だった。ちゃらんぽらんだった私はやり込められることも多かったが、議論を重ねる度に理解は深まった。価値観の異なる多国籍のチームを困難なプロジェクトの完成に向けてまとめる、非常にすぐれたOJTになっていた。

 自分自身は数年でスピンアウトして今に至るが、今でも同期の集まりが年に4回あり、かなりの頻度で参加させてもらっている。同じ釜のメシを食ったという共同体験が、帰る場所を維持する求心力になっている。

 ある目的に向かって、場所と時間をなかば強制的に暑苦しいくらいネットリ共有する。効率や成果を短期間で求められがちな今の会社や社会のシステムではなかなか難しい面もあるかもしれないが、もう一度、引っ張り出して見直す価値のある仕組みだと思う。