東日本大震災の復興住宅をつくろうとしている人たちの間で、中越地震で被災した旧山古志村(新潟県長岡市山古志)の復興住宅が注目を集めています。
例えば、11月23日に入村式を迎えた「石巻市北上町白浜復興住宅」は、工学院大学建築学部教授の後藤治さんが旧山古志村の復興住宅を手本に計画したものです。
旧山古志村の復興住宅は、今年1月に急死した東洋大学ライフデザイン学部人間環境デザイン学科教授の内田雄造さんが、長岡市中山間地型復興住宅検討委員会の座長として全体計画をつくり上げたものです。
内田さんはインフラや住宅の再建が終わってからも旧山古志村に年に数回通い、被災した過疎地の復興を支援し続けていました。私は内田さんと親しくさせていただいていたので、旧山古志村についてもう話が聞けないことや、東日本大震災の復興に携わってもらえないことが惜しまれてなりません。
旧山古志村の復興住宅の特徴は、公営住宅と、自己資金プラス補助金で建てる自立再建住宅のモデルプランを用意して、地震で破壊された集落を、統一感のある美しい集落によみがえらせた点です。
戸建て住宅は住民が好みの設計で再建することが可能ですが、住民の多くが、自立再建住宅のモデルプランを選んだり、モデルプランの要素を取り入れた住宅にしたりしました。モデルプランと施工方法は、地元住民と工務店にヒアリングとワークショップを重ねて決めています。内田さんが得意とする参加型のまちづくりです。
東日本大震災の被災地では、建築関係団体が自立再建住宅のモデルプランをつくり、工務店を対象に講習会を開催しようと計画を進めています。モデルプランが“絵に描いた餅”にならないためには、内田さんが旧山古志村で行ったような参加型の取り組みが不可欠だと思います。
旧山古志村の復興住宅で参考にしたいもう一つは、供給体制です。地元の工務店や大工が復興住宅を建設して、将来のメンテナンスも担いたいが、そもそも人数が少なく、被災した顧客の住宅修復で忙しい。
そこで、住民と施工者をそれぞれ組織化して全体を統括するコンストラクションマネジャーを配置するとともに、地元の工務店や大工が信頼を寄せる長岡市の建築士と長岡建築協同組合などがバックアップしました。
東日本大震災では地元企業を支援するため、仮設住宅の施工を県内の工務店に発注できるようにしました。しかし、受注したのは県内の被災していない地域の工務店がほとんどで、地元工務店は携わりにくかったと聞きます。
復興住宅では旧山古志村のように体制を工夫して、地元の工務店が主体となって、少しずつでも仕事に携われるようにと願います。