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グラビア・はじめに・目次・概要 21 - [無料PDF]
第1章 浮上 時代のうねりに翻弄された巨大事業 21 本体300円+税
[会員限定無料PDF]
第2章 転換 20年の積み重ねを捨て、シールドへ 20 本体300円+税
第3章 危機 川崎人工島を襲った予期せぬ湧水 21 本体300円+税
第4章 意地 完全自動組み立てロボットの誕生 20 本体300円+税
第5章 攻防 漏水なきトンネルへのこだわり 21 本体300円+税
第6章 突破 未知なる超軟弱層を掘り抜く 19 本体200円+税
第7章 天変 悪天候に悩まされた護岸工事 15 本体200円+税
第8章 支援 急勾配での安全守った資材搬送車の開発 17 本体200円+税
第9章 貫通 水面下60メートルのランデブー 21 本体300円+税

 このコンテンツは、1997年に発行した日経コンストラクションの書籍「東京湾をつないだ男たち 巨大事業を支えた技術者の記録」を、章単位のPDFファイルで復刻したものです(ケンプラッツ・デジタルライブラリー)。第1章の抜粋をこのページの末尾に掲載しています。

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東京湾をつないだ男たち
東京湾をつないだ男たち

編集:日経コンストラクション
体裁:208ページ
ISBN:4-8222-2010-9
発行日:1997年12月3日

※紙の書籍としては販売を終了しています。

 


第1章「浮上 時代のうねりに翻弄された巨大事業」から

日本全体が道路整備の遅れを痛感していた1960年代、東京湾を横断するという夢のような構想は、技術者たちの地道な調査によって次第に具体化していく。しかし、構想が現実味を帯びるとともに、課題が残されたままの計画は高度成長の波に乗って、技術者たちの手の届かないところで動き出そうとしていた。

鏡開き

 1997年4月21日午前10時、東京湾の海底60メートルにあるトンネルは、人いきれでむせ返っていた。報道陣を含め、約400人が詰めかけるなか、予定時刻より少し遅れて東京湾横断道路トンネルの貫通式が始まった。

 式は淡々と進む。亀井静香建設大臣が年内のトンネル開通を公約し、続いて神奈川、千葉の両県知事がトンネル貫通を祝う言葉を並べた。その後を受ける形で、式典は酒樽を小槌で割る「鏡開き」の儀式へと移った。

 神奈川県川崎市と千葉県木更津市を結ぶ延長15.1キロメートルの東京湾横断道路は、4.4キロメートルの橋と9.5キロメートルのトンネルからなる。

 とりわけトンネル部は上り線、下り線合わせて8台のシールド機を使って掘り抜く前例のない難工事だった。使ったシールド機は、外径14.14メートルと世界最大級の代物である。しかも、それらが2台ずつ海底下の地中でドッキングするという離れ業をやってのけた。

 鏡開きに使われる四斗樽が並べられたのは、ちょうど2台のシールド機がドッキングした継ぎ目のあたりだった。東京電力顧問の山根孟は、かけ声に合わせて5つある樽の真ん中のそれに小槌を振り下ろした。

 樽の割れる音が、こだまする拍手にかき消された。上の方に目をやると、2台のシールド機が寸分のずれもなく、ぴたりと接合している。

 「よくぞここまで来たものだ」

 さまざまな思いがないまぜになったこんな言葉が、山根の実感だった。振り返れば、このプロジェクトにかかわってからすでに30年以上が過ぎていた。

 山根が東京湾横断道路に初めてかかわりを持ったのは1962年4月。建設省道路局企画課の課長補佐として着任した34歳のときである。

 戦後の復興が一段落して日本が高度成長期に入ろうとしていたころで、活気を帯びる経済と歩調を合わせるように全国で道路建設の槌音が高まっていた。

 各地でビッグプロジェクトが動き出す。

 62年には東名高速道路の建設がいよいよ始まろうとし、西では本州四国連絡橋の事業が現実味を帯びつつあった。東京湾でも、58年ごろから次々と開発構想が発表され、61年2月には建設省が神奈川県と千葉県を海底トンネルか橋で結ぶ構想を作成していた。山根は東京湾横断道路と本州四国連絡橋の2つのプロジェクトの調査を並行して手がけることになった。

 当時の横断道路構想はまだ、事業の輪郭さえはっきりしないふわふわした夢のようなものだった。当の山根ももちろん、明確なイメージなど持ち合わせてはいなかった。それが大きく変わり始めたのは65年秋。米国ノーフォークの横断道路プロジェクトを視察した際の強い印象が引き金となった。