1933年に制作された映画「キングコング」で、南洋の島から米ニューヨークに連れてこられたキングコングが、エンパイアステートビルに上る場面は誰でも目にしたことがあるだろう。76年のリメイク版では世界貿易センタービル(WTC)に上り、墜落する。

 2001年9月11日に起こった米国同時多発テロ事件で、WTCは倒壊する。米国資本主義の象徴とも言われ、テロの標的になった。そのWTCの設計者である日系米国人、故・ミノル・ヤマサキ氏の評伝が「9・11の標的をつくった男」(講談社/1900円)だ。

 「WTCの低層部にあるフォーク状の柱が、アーチをどんどんシンプルにしていった結果だった」といった分析を興味深く読んだ。「米国同時多発テロの首謀者とされるオサマ・ビンラディンの一族が経営する建設会社と、ミノル・ヤマサキ氏の事務所が同じプロジェクトに関わった可能性がある」という奇妙な接点にも驚かされた。

 もちろん評伝なので、WTCの話だけでなくミノル・ヤマサキ氏の様々な側面を描いている。なかでも印象深かったのは、発注者に対するプレゼンテーションで見せた、ミノル・ヤマサキ氏のサービス精神にまつわるエピソードだ。

発注者の提案を予想してつくったプレゼン

 ミシガンガスの社長に、同社のビルの模型を披露したときの話だ。原寸大の外壁パネルの模型(モックアップ)も製作し、模型の内部で電球をつけて建物が夜間にどのように見えるかを見せた。そして、発注者側から「ガス・イズ・ベスト」という看板の設置を提案されたとき、ミノル・ヤマサキ氏は、ある手品を披露した。

 ミノルが着ていたシャツの胸ポケットで、「ガス・イズ・ベスト」という文字が光った。同社からの提案を予想していたミノル・ヤマサキ氏は、あらかじめ豆電球を入れたマッチ箱を胸ポケットにひそませ、ズボンのポケットに隠した電源に接続しておいたというのだ。第2次世界大戦中から終戦直後にかけて、日系人として差別を受けるなかで、ミノル・ヤマサキ氏が成功をつかんだ背景にはこうしたサービス精神があったに違いない。

 発注者に対するプレゼンテーション能力の強化は、建築設計者にとって大きな課題だ。熱心に取り組む人も多い一方で、「実力を認めてもらえば仕事はくるはず。プレゼンに力を入れるのはよろしくない」という意見も耳にする。考え方の違いだとは思う。どちらが「正しい」とも「誤っている」とも言い切ることはできない。

 しかし、この不況下で受注難に苦しむ設計者なら、差別の中ではい上がるようにして成功をつかんだミノル・ヤマサキ氏のプレゼンにかける姿勢に、見習うべきところがあるのではないかと思う。

 シェラトン都ホテル東京(東京都港区)がミノル・ヤマサキ氏の設計であることも、この「9・11の標的をつくった男」を読んで初めて知った。実はこのホテル、現在の勤務地とは目と鼻の先にある。何度かこのホテルで食事をしているにもかかわらず知らなかった。

 近々再訪して、ミノル・ヤマサキ氏がこのホテルを受注する際にどんなプレゼンを披露したのか想像しながら、あの優雅な空間を堪能したいと考えている。