コミュニティーを復活できない老朽マンションはどうなる?

 居住者・所有者による自主自立のコミュニティーがマンションの維持管理を引っ張る姿はたしかに都市住宅の理想かもしれないが、建て替えで余剰容積の恩恵にあずかるマンションが公団・公社系の団地にほぼ限られるように、そうした理想的なコミュニティーを維持できるマンションも限られているのではないか。様々な価値観の居住者が混住しているマンションで適材適所の人材がそろった良質なコミュニティーを築き、その活力を維持し続けていくハードルは非常に高い。

 現実には、余剰容積どころか既存不適格状態で修繕積立金も乏しく、空室だらけで所有者は高齢化し、管理会社も相手にしない老朽化した中小規模のマンションが都心部にはかなりある。公的資金をつぎ込む余裕もないなかで、そうした老朽マンションを再生するにはどうすればよいのか。大規模修繕工事の集団発注や共同管理システムを模索している小規模マンションの例を除くと、さすがの山岡氏も確たる処方せんは示し切れていない。

 コミュニティー復活のめどが立たず、自己決定権を放棄した老朽マンションを救済する道筋はほとんど見えないのが実情だ。建物の延命をあきらめて敷地を売却し、区分所有関係を清算する方法も考えられるが、それさえ当事者である区分所有者たちが決断しなければ実現できないことだ。

 かくて希望と絶望がない交ぜになったまま、来年には築30年を超える分譲マンションストックは100万戸を突破する見込みだ。このうちビジネスとして“うま味”のあるマンションの建て替えや再生だけ“つまみ食い”したら、不動産業界や建設業界に対する風当たりはいま以上に強まることだろう。処方せんを示す責任の一端は、こうしたストックを生み出して一度は利益を上げた供給者や施工者側にもある。

 老朽マンションストックをどう再生したらよいか。行政やマンション管理の関係者に任せるのではなく、建築・不動産、法律、税務、医療や介護、通信など、マンションで生活する人たちと関係するあらゆる分野のプロが知恵を絞るべきときが来ているのではないか。