東京・丸の内の三菱商事ビルで2009年7月に起きたガラス落下事故の原因が、ようやく明らかになってきた。既に報じたとおり、倍強度ガラスに含まれていた異物の膨張に起因して事故が起き、520枚のガラスを撤去することになった。この種のトラブルの原因や対策は、関係者限りで封印されてしまうことが多い。調査結果を公表した三菱商事、三菱地所設計、竹中工務店の担当者に敬意を表する。

 ただし、ケンプラッツの取材班は公表の内容に100パーセント満足しているわけではない。事故から公表までに8カ月余りもかかってしまったこと、調査結果報告書などの詳細な資料が公表されていないことが心残りの理由だ。

 不安を煽るつもりは毛頭ないが、表ざたになっていないだけで、ほかにも日本国内でいくつかの事故が起きていたようだ。現状では、別のビルに使われている同種のガラスが危険なのかどうかが分からない。危険だとしたら、どのような対策を施せばよいのかも見えてこない。同種の事故を防ぐために教訓を十分に生かすという点において、日本は仕組みが確立されていない国だと言わざるをえない。

 民間企業が建てたビルといえども、周辺を歩く人たちにも大きな影響を及ぼす建築物は、社会的な存在である。当然、事業主や設計者、施工者だけの理屈では存在を許されない。もし、同種のガラス落下事故がある日どこかで起きて人が巻き込まれたら、その家族・親族・恋人・友人だけでなく、建設に携わった関係者だって悔やみきれないはずだ。

 倍強度ガラスのトラブルとしては、新潟県の朱鷺メッセ・万代島ビル(地上31階、鹿島JVが施工)で、04年と05年に発覚した問題が知られている。結局、ガラス約1000枚を交換する事態となった。新潟県議会の記録をたどると、原因について次のように報告されている。

<万代島ビルの外壁ガラスの亀裂につきましては、同ビルの区分所有者からなる管理組合が、同ビルを建設した施工者に対し調査を指示し、公的研究機関を含む複数の第三者機関により原因究明を行った結果、ガラス製造時に内部に混入した異物が熱エネルギーの蓄積により膨張し、亀裂が生じたことが原因であるとの報告がありました。県といたしましては、破損原因が特定されたことから、管理組合を通じ、施工者に対し必要な安全対策を講ずるよう求め、ガラスの交換等を行っているところです>

朱鷺メッセ・万代島ビルでは、展望室のガラスにひびが入った。2005年に撮影(写真:日経アーキテクチュア)
朱鷺メッセ・万代島ビルでは、展望室のガラスにひびが入った。2005年に撮影(写真:日経アーキテクチュア)

 05年10月の新潟県の建設公安委員会では、議員の質問に県の担当課長が次のように答えた。

<私どもの方は施工者の方にどうなっているのだということでその辺は問いただしております。施工者の方は、設計段階の指示はJIS規格に合致している、そういうものを入れてくれという指示であったと、ところが、委員がお話しのとおり、アメリカ製の会社のガラスを使って、結果的にはJIS規格に合わないものが入っていて、それが原因で落下、ひび割れという事態に陥ってしまったという報告を受けております。これを受けて今、ガラスの交換を進めておりまして、交換するガラスにつきましては、今度はアメリカ製ではなくて、日本製のガラスを入れるということで作業を行っていると聞いております。費用負担につきましては、原因者である施工者が全額負担ということでやっていると聞いております>

 三菱商事ビルでは、タイの企業が製造した倍強度ガラスが使われていた。しかし、現時点で輸入品だから問題があると断定されたわけではない。

ジョン・ハンコック・タワーの事故では訴訟合戦に

 超高層ビルのガラス落下事故としては、米国・ボストンのジョン・ハンコック・タワー(地上60階)で起きた事故が有名だ。三菱商事ビルや万代島ビルとは使われていたガラスの種類が異なるものの、社会に不安を与えた点は共通している。設計者はI・M・ペイ。使われていたのは「徐冷板反射複層ガラス」というガラスだ。「日経アーキテクチュア」の1976年4月19日号は、「どう裁かれる“建築家の責任”」と題して事故の経緯を伝えている。

<総ガラス張りのタワーでガラスが割れ始めたのは1972年の夏。以後、特に強風時には激しく破損した。落ちる破片でまた別のパネルが傷ついたりで、結局総数1万344枚のガラスのうち約1200枚に被害が及んだ>

 記事によると、全ガラスを取り替え、ビルへの入居開始は3年遅れ、総工費もふくれ上がった。ところが、取り替え後のガラスも破損したため、ボストン市建築局はいったん下した許可を取り消し、入居を差し止める事態になった。責任をめぐる争いも起きた。周辺の教会やレストランが設計者らに対し、損害賠償を請求する訴訟を起こす。その後、建築主が設計者や施工者、ガラス製造、施工会社などに対して損害賠償請求の訴えを起こした。これに対し、設計者やガラスメーカーは過失を否定し、反対訴訟を提起した。泥仕合である。

 原因に関しては、マイケル・キャネル著、松田恭子訳の「ルーブルにピラミッドを作った男 ―― I・M・ペイの栄光と蹉跌」(三田出版会、1998年発行)に記述がある。

<外側のガラスから入った光は内側のガラスの銀色のコーティングに跳ね返り、再び外側のガラスを通って外へ出ていく。調査によって判明したのは、外側のガラスが光の往復によって熱を帯びて膨張したり、窓全体がかすかに振動する(窓は1日に何千回も振動する)にもかかわらず、2枚のガラスを隔てる鉛のスペーサーに弾力性がないということだった。その結果、脆いスペーサーは微細のひび割れを起こし、そのひび割れがハンダ付けされた窓自体に及んでいたのだ。このような細かいひびがすべての窓に入っていた>

 著者はさらに、次のように記している。

<この技術上の大失態が一般に知られることはなかった。ペイの同業者が調査結果を提出して間もなく、ハンコック社は1万344枚の窓ガラスすべてを取り替える計画を発表したが、問題の本質を隠蔽した>

<ハンコック・タワーの大失敗から教訓を得る機会を奪われた建築家や建築技師らは、不十分な情報に基づいて様々な考察を試みた>

 およそ40年前の米国でも、事故情報が共有化されずに批判を浴びたらしい。ジョン・ハンコック・タワーの教訓が広く社会に伝わるのは、何年も経ってからのことだった。社会の安全のために、トラブル情報を細部にわたって公表することを、日本の建築関係者に改めて要望したい。