今年も1月17日がやってきた。6000人を超す死者を出した阪神・淡路大震災が起きた日だ。今年で15年目を迎える。

 あの日、激震に襲われた芦屋に住んでいた。地震が発生した午前5時46分、突然、突き上げられるような激しい揺れで目が覚めた。何がなんだかわからず、隣で寝ていた妻とともに声も出せずにベッドにしがみつくしかなかった。

 大きな揺れが収まってから床に降りたが、暗くてよく見えない。8畳間の洋室の端にあったベッドは、部屋の中央まで動いていた。リビング・ダイニングに行くと、惨たんたる状況だった。テレビが吹っ飛び、食器棚が倒れ、家具や食器が散乱している。ガラスや陶器の破片で足の踏み場もなかった。

 当時、ハウスメーカーが建てた木造2階建ての賃貸アパートの1階に住んでいた。1990年ころに建てられた比較的新しい建物だったこともあり、大きな損傷は免れることができた。しかし、近隣の建物の被害は甚大だった。あちこちで戸建て住宅が倒壊し、旧耐震基準で設計されたと思われる古い大きなマンションの中層階がつぶれた。道路は幾筋もの亀裂が入り、大きく波打っていた。

 火災も起きた。朝焼けの空にいくつもの黒煙が上がっているのを見た。だが、消防車のサイレンは聞こえない。上空を飛ぶ、複数のヘリコプターのバラバラバラという音だけが妙に記憶に残っている。

 家族が大震災で死なず、大きな負傷もせずに助かったのは、“たまたま”だと思っている。たまたま新耐震の建物に住み、たまたま火事が発生せず、たまたま転倒した家具で圧死しなかった。偶然が重なっただけで、意図的に助かったとは考えていない。

 阪神・淡路大震災後の15年間で、国や自治体で建物の地震対策への取り組みが急速に広がった。地震そのものの調査・研究も進んでいる(詳しくは、「阪神大震災の教訓、生かすべき課題は多々ある」を参照)。まだ完全だとはとても言えないが、防災の面で一定の進展があったことは間違いないだろう。“たまたま”という偶然性に期待しなくても、災害を防ぐ、または減じる備えが徐々に整えられつつある。

 震災時、身重だった妻は3月に長男を産んだ。その子は今年15歳になる。親として大震災の記憶を伝えたいのだが、実体験のない子どもに話してもなかなかピンとこないようだ。

 どうすれば地震対策の重要性をうまく伝えられるのか――。こうしたもどかしさは、建築や住宅の専門家である読者のみなさんも日ごろから感じていると思う。建て主に余計な不安を与えることなく、わかりやすく説明することは難しい。

 残念なのは、震災後、実際に地震を経験した設計者や施工者の生の声があまり聞かれないことだ。自分が手がけた建物が壊れなかったことをアピールするだけでなく、勇気を振り絞って壊れた内容も詳細に伝えてほしい。専門家が語り継ぐ肌身の体験談や分析データは、例えばE―ディフェンス(防災科学技術研究所・兵庫耐震工学研究センター)の実大振動実験で倒壊した長期優良住宅など(詳しくは、「長期優良木造3階建てが『想定通り』倒壊」を参照)、予期せぬ事態の解明に大いに参考になるはずだ。