民衆の意図

 1929年生まれの昭和一けた世代。父親は鉄道省の土木技術者だった。戦争末期の中学時代に、学徒勤労動員で日立製作所多賀工場へ通った。夜勤明けの晩に工場が艦砲射撃を受けて、1日の差で命をつなぐ。戦後、軍国主義が一転して、民主化の嵐が吹き荒れるころ、旧制水戸高校へ進んだ。

 「それまでは軍国主義教育で、上の者には従わなければならないと徹底的にたたきこまれた。片や、資本主義を撲滅せよという極端な思想があった。よくいえばヒューマニズムだけれど、いま一つ理解できなかった」と小林教授は語る。

 行き着いたのは、19世紀ドイツの倫理学者リップスの思想をもとに阿部次郎が著した「倫理学の根本問題」(岩波書店)。そのときの制度が民衆の意図するところに合わなければ、変えなければならない――という考え方が、その後のよりどころとなる。

 たった一人でも、大きな組織を相手に論争を辞さない姿勢の源には、どうやらこの思想があるようだ。

 85年には、アルカリ骨材反応についてセメント協会が示した見解に対し、「セメントメーカーは早急にセメントのアルカリ量を減じる必要がある」という趣旨の論説を発表。内容をめぐってセメント協会が反発するという、セメント論争を巻き起こした。

 狭山台団地の調査では、研究室の総力を動員して「アルカリ骨材反応による劣化が原因」との独自の調査結果を発表した。住宅・都市整備公団はこれを否定し、意見が対立する。阪神大震災後にも現場に乗り込み、破壊した高架橋に、圧接不良や配筋不良、コールドジョイントに起因する破断面があることを指摘した。

 土木学会コンクリート委員会の委員長をしていたときには、現場の生コンの品質を調べようと、ゼネコンの研究所に協力を求めて抜き打ち検査を実施した。結果はJISの規定から数パーセントしか外れていなかった。後でわかったことだが、情報は事前に漏れ、抜き打ち検査にはならなかった。

「日本に現れたガリレオ」

 「土木一家は閉鎖社会」と言ってはばからない。「何か事故が起きたときに組織される調査委員会では、結論はいつも“天災”か“当時の技術の限界”。みんなそこへもってくる」。「責任施工という名の無責任施工が、コンクリート構造物の早期劣化を招いた」「ぼくがJR西日本の社長なら、いつ事故が起きるかと心配で夜も眠れないだろう」。いずれも小林教授の言葉だ。

 山陽新幹線のコンクリート片落下事故後、「JR西日本は列車を止めてでも総点検すべき」というコメントが、新聞、雑誌に盛んに取り上げられた。マスコミが発言を細切れで引用したために、誤解を招くこともあるが、社会不安をあおるための発言ではない。「徹底的な調査を施し、構造物の長命化を図るための維持管理体制を整えるべきだ」という主張は一貫している。

 歯に衣(きぬ)着せぬ物言いに「またおかしなことを言い出した」「常軌を逸しているのではないか」との声も聞こえてくる。しかし考えてみれば、効率第一で突っ走った時代こそ、常軌を逸していたのではないのか。コンクリートが半永久的な構造物だと信じられた時代から警鐘を鳴らし続けた小林教授を、「日本に現れたガリレオ」と呼ぶ人もいるのだ。