出版直後にコンクリートの落下事故

 東京大学を退官後に、千葉工業大学教授に就任した。背筋を伸ばした身のこなしは、今も変わらない。99年5月に出版した岩波新書「コンクリートが危ない」は、11万部のベストセラーになった。そのなかで、山陽新幹線の高架橋や集合住宅などの劣化事例を挙げ、事態を放置すれば、コンクリート構造物の一斉に壊れはじめる時期が2005年から2010年までにやってくる可能性が高いと指摘した。

 直後の6月、山陽新幹線・福岡トンネルでコンクリート塊がはく落し、走行中の新幹線を直撃した。7月には兵庫県相生市内の高架橋からコンクリート片が落下。以降、各地でコンクリートの落下事故が報告され、日本は再び、コンクリート構造物の劣化問題に直面している。

 1983年の日本もコンクリート問題で揺れていた。きっかけはNHKの報道だ。山陽新幹線に除塩されていない海砂が使われていたことを突き止め、3月に「警告!コンクリート崩壊・忍び寄る腐食」を放送した。1カ月後には、山形県酒田市の国道7号にかかる道路橋が、塩害で予想以上に早く劣化していることを伝えた。

 以後、新聞雑誌が後追いし、84年4月にはNHKが「コンクリートクライシス」を報道。コンクリートの早期劣化問題は、国会でも取り上げられるようになる。

 このとき、学者として劣化問題に真っ向から取り組んだのが小林教授である。83年3月、現地調査のため、山陽新幹線の高架橋の下に立った。このあたりの情景は、先の岩波新書に詳しく書かれている。結局、この現場での体験が、その後、塩害やアルカリ骨材反応が起きたメカニズムを追究する原点になる。

 炭酸化現象を解明するきっかけとなったのも現地調査だった。84年、日本住宅公団(その後、住宅・都市整備公団)が販売した埼玉県の狭山台団地で、異常な劣化が見つかる。団地管理組合からの依頼で、建築を専門とする学者がしり込みした調査を引き受け、現場を訪れた。

 小林教授を知る建設省のOBが語る。

 「ほかの先生方は、おぜんだてができて、呼ばれてからでかける。ところが小林先生は、何かあれば自分から現場に行く。現象を見たうえで、何でこんなことが起きているのかと考える。ここが最も大きな違いだろう」