経済波及効果より経済「損失」を基本に

 建設投資が70年ごろと同じ水準に戻るとはいえ、建設事業を取り巻く環境は一変。これからは、そのころに建設した構造物を補修し、維持管理していくことになる。しかし、その財源は不足している。

 国土交通省は2005年、「2030年ごろには必要な維持管理費と更新費のうち、半分の予算しか確保できなくなる」とする試算結果を発表したが、昨今の「無駄な公共事業」の見直しによって、予算の確保はさらに厳しくなる。

 日本の社会資本が荒廃していく危機を指摘する声は増えてきたものの、公共事業を批判する世論を納得させるまでには至っていない。公共事業による経済波及効果の説得力も弱まっている。

 一方、例えば2008年8月の首都高速道路の火災事故では、1本の道路が通行止めになったことで周辺の一般道路や高速道路に大渋滞を引き起こした。さらに、首都高速道路全体の料金収入は1日当たり5000万円減少したという。

首都高速道路の復旧工事の様子。タンクローリーは写真右端の足場で覆われた橋脚付近で激しく炎上した。2008年10月4日に撮影(写真:ケンプラッツ)

 最近の例では、北海道の四ツ峰トンネルが覆工コンクリートのひび割れなどで2009年7月から通行止めになっており、スキーや観光が支える地元の経済に打撃を与えると心配されている。

 従来のように経済成長を前提とするならば、建設によって得られる効果は事業の可否を決める一つの指標足りえた。しかし、管理が主となるこれからは、つくることで得られる効果より、使えなくなることで被る損失に目を向けるべきではないか。

 なにより先述の首都高速や四ツ峰トンネルのケースのように、インフラの不具合がもたらす損失は、受益者や利用者にとって経済波及効果よりも実感を伴ったものになるはずだ。

 その損失額を、地域だけでなく国全体としても算出し、これからの行政サービスの水準と照らし合わせながら社会資本のあり方を考えてみる。維持管理に最低限、必要なコストも併せて示す。

 公共事業批判が落ち着く兆しは見えないが、損失額などの実感を伴ったデータが、目先の公共事業ではなく社会資本の将来に目を向けるきっかけになりはしないだろうか。