多分に感覚的な話で恐縮ですが、最近、住宅分野の取材先と雑談をしていて、あるいは編集部で住宅をめぐる制度についての議論をしていて、建築基準法がどうもおかしい、つじつまが合わない、という話に入り込んでしまうことがある。特に6月に長期優良住宅法(長期優良住宅の普及の促進に関する法律)が施行されたころから、多くなった気がする。

 新築住宅の性能や仕様を決める基本的な制度は、長期優良住宅法ができたことによって「3階建ての住宅のような印象になった」と感じている。1階部分の建築基準法の上に、住宅品質確保促進法に基づく性能表示制度が載り、さらに3階に住生活基本法に基づく長期優良住宅法の認定制度が載った。制度的には別体系なのかもしれないし、守るべき義務である1階部分と、やってもやらなくても構わない2階以上では性格が異なるのかもしれない。しかし同じ家を建てるときにかかわってくるので、シロウト目には一体的に見える。

 そんな前提でこの家を見てみると、1階部分がつくられたのは昭和25年。築50年を経たころに平屋の一部分に「現代的で高性能な」2階を増築。さらに築60年を目前に控えた今年、「建てた後の維持管理」について目配りした3階を建て増した。1階部分は幾度となく改正という“リフォーム”を施してきたものの、新築当時、3階建てに増築することは想定していなかった。少し離れた位置から全体を見ると、木造平屋の一部に異なる構造を継ぎ足したような不自然さも感じられる。――こんな具合だろうか。

 建物の健全性を見極める簡単な判断基準として「全体的な印象が重要」とは、ある建物診断のプロに聞いた言葉である。「見た目がなんとなく不自然な建物は、詳細に調べてみると大きな問題のあるケースが多い」とのことだった。

 ストック時代に重要になるのは、手入れをしながら残すべき価値のある建物と、思い切って壊してしまったほうがよい建物を見極める“目”だ。以前、建築基準法の改正にかかわった国土交通省の担当者と建築基準法の将来についての雑談をしていて、「個人的にはそろそろ耐用年数を超えていると思う。ただ、自分たちは新しい法律をつくることはできても、時代に合わなくなった制度をなくすのは難しい」という意味合いの言葉を聞いたことも思い出した。

 築60年を迎える建築基準法。良質なストックとして相応の手入れをしたうえで残すべきか、それとも十分に役割を果たしたとして、思い切って建て直してしまったほうがよいのか。検査のプロに第三者的な視点から診断してもらうべき時期なのかもしれない。