40代の半ばを過ぎても「人間ドックには行かない」と話す知人がいる。理由を尋ねると、「何か見つかったら、酒を控えろとかカロリーを抑えよとか面倒なことになる。今の生活を楽しみたい」などと、のんきな様子だ。いかにも健康的な彼のことは心配していないが、公共事業でこれと同じような話を耳にして、気になった。

 「橋梁などを調査して、もしも悪いところが見つかったら直さなければいけないが、予算もない。だから調査はしない」。これは、建設コンサルタント会社の技術者が自治体の職員と打ち合わせていたときに聞いた内容だという。

 知らなければ責任問題にはならないかもしれないが、知っていて対策しなかったらなぜ放っておいたのかと住民から非難を受けるのは目に見えている。ない袖は振れない自治体の事情は分からないでもない。しかし、老朽化の程度によっては生命や財産を危険にさらしかねない事柄から目をそむけているのだとすれば、インフラストラクチャーの管理者として問題ありと言わざるを得ない。

 「災害待ち」という言葉も聞いた。例えば、法面の一部に亀裂が入るなどして何らかの対策が必要な個所が見つかったとする。しかし、予算の関係から、すぐには補修ができない。ではどうするか。

 とりあえずブルーシートをかけて様子をみておき、豪雨などが襲った後に、災害復旧事業などとして直すのだとか。「ひどい話だと思うけれど、そうしないとお金が付かないようだ」。ある会社の社員は、付き合いのある自治体のこんな対応を、にがにがしく話してくれた。

 自身の健康管理は自身で責任を持つのがいい。冒頭の彼のような生き方もあるだろう。一方、構造物の“健康管理”では、対策を先延ばしにすると構造物自体の問題以外にも及ぼす影響が非常に大きくなる恐れがある。最悪の事態にはなってほしくない。今、言えることは一つ。待ちの姿勢を決め込むより、どんなに小さなことでもできることをする方が、最悪の事態を回避できる確率は高まるということだ。