10年前にも接待論争

 これらのコメントを読んで、10年ほど前にも似たような論争があったことを思い出した。日産自動車が役員や社員を対象とした行動規範を作成した際、当時の塙義一社長は日経産業新聞(1998年4月22日付)のインタビューで次のような話をしている。

<自動車メーカーは総原価の7割を外部の部品、資材メーカーから購入している。そこになれ合いが入り込む余地があれば、コスト削減を掲げても意味がない。営業部門では接待する必要があるのではないかという声もあるが、本来は車が良くて、価格が適正で、サービスが行き届いていれば車は売れるという時代ではないか>

<接待などで築いた特別な関係で取引が左右されるとなれば、優秀な部品メーカーにも相手にされなくなり、企業としての存続にもかかわる。企業の公平性が認められれば一つの値打ちになるはずだ>

 この行動規範の公表から時が経って、どうなったのか。日産自動車に勤務する友人に尋ねると、「飲み会は減り、サプライヤーには甘えられなくなった。でも、トータルではよかったと思う。海外の企業も対象に、部品を安く調達しようというときに、日本企業の接待は意味がないからね」と評価した。

 会社はいろいろな人の集合体だ。細かなルールなど必要としない高い職業倫理をもつ人がいる一方で、誘惑に負けて不公正な取引に手を染めてしまう人もいる。だから最低限のルールは必要なのだろう。ただし、一方的に「接待を受けてはダメ」と決定事項を強要するのは不十分だ。コメント欄の議論のように、なぜルールが必要なのかを考え、理解することが大事だ。

 私は、会食を伴うコミュニケーションや情報交換には、発想を転換させるなど、それなりの意味があると思っている。「要するに割り勘にすればいいのです」の意見に賛成である。

 竹中工務店の行動規範は世の流れを反映したものだと理解している。だが、ひっかかるところもある。行動規範に反する行為を見かけたときの通報制度の存在だ。接待問題は、セクハラ被害とは次元が異なる。通報制度には問題を外部に漏らさず、できるだけ早く会社内部で把握するという狙いがあるのかもしれないが、「監視しているからやるな」と言われているようで気持ちが重くなる。

 さて、接待禁止は建設業に定着するだろうか?