「うちの敷地に面した塀を築造しないでほしい。こちら側の敷地での作業を前提にしていることには納得できない」。近隣交渉の際、隣地所有者からこう言われた設計者のエピソードを、2009年5月20日の「ケンセツ的視点」で紹介した。その設計者はやむを得ず、発注者と相談のうえで隣地から30cm内側に寄せて塀を築造することにした。

 実は類似の事例を、日経アーキテクチュア1999年11月29日号の「法務」欄で取り上げたことがある。筆者の野口和俊弁護士は、コンクリート塀を敷地境界線よりも内側に寄せて築造すると、寄せた分の敷地が将来、隣地所有者のものになる「時効取得」の可能性があると指摘している。時効取得とは、20年間自分の所有地として、平穏かつ公然に使用していれば、他人の所有地でも所有権を取得できることだ(民法第162条第1項)。

 塀(囲障)の設置に関しては、民法第225条などに規定がある(下記の条文を参照)。これらの条文から野口弁護士は、1)塀を築造する際、事前に協議が必要なのは相手方に費用の分担を求める場合だ。2)自己の敷地内で施工したり、全額自己負担で施工したりする場合は、隣地所有者などとの協議は不要。3)一方的に築造してから相手方に費用の分担を請求することはできないと考えられている――といった前提を提示した。

 その上で、前述した時効取得について説明。紛争を回避できる代わりに、コンクリート塀を挟んで隣地側にある所有地は、隣地同然の状態となる。20年も経過すれば、経緯は忘れ去られ、立証困難になる。隣地所有者などの占有は強固となり、隣地所有者などが時効取得する要件を満たしかねない――。塀の築造を巡る意外な落とし穴について、野口弁護士はこう解説した。

 実はこの記事は、過去10年間に掲載された同欄の記事で、読者アンケート調査の結果、最も反響の大きかったものだ。近隣交渉や隣地境界を巡る問題に対する設計者の関心の高さを示している。また、設計者にとって、建築基準法や都市計画法だけでなく、民法に関する知識も重要であることを、“たかが塀”に関するこの記事はあらためて教えてくれる。民法の関連条文を以下に記しておく。

塀に関する民法の規定

民法第225条
1. 2棟の建物がその所有者を異にし、かつ、その間に空地があるときは、各所有者は、他の所有者と共同の費用で、その境界に囲障を設けることができる。
2. 当事者間に協議が調わないときは、前項の囲障は、板塀または竹垣その他これらに類する材料のものであって、かつ、高さ2mのものでなければならない。

(囲障の設置及び保存の費用)
第226条

前条の囲障の設置および保存の費用は、相隣者が等しい割合で負担する。

(相隣者の一人による囲障の設置)
第227条

相隣者の一人は、第225条第2項に規定する材料より良好なものを用い、または同項に規定する高さを増して囲障を設けることができる。ただし、これによって生ずる費用の増加額を負担しなければならない。

(囲障の設置等に関する慣習)
第228条

前3条の規定と異なる慣習があるときは、その慣習に従う。

(境界標等の共有の推定)
第229条

境界線上に設けた境界標、囲障、障壁、溝および堀は、相隣者の共有に属するものと推定する。

第230条
1. 1棟の建物の一部を構成する境界線上の障壁については、前条の規定は、適用しない。
2. 高さの異なる2棟の隣接する建物を隔てる障壁の高さが、低い建物の高さを超えるときは、その障壁のうち低い建物を超える部分についても、前項と同様とする。ただし、防火障壁については、この限りでない。

(共有の障壁の高さを増す工事)
第231条

1. 相隣者の一人は、共有の障壁の高さを増すことができる。ただし、その障壁がその工事に耐えないときは、自己の費用で、必要な工作を加え、またはその障壁を改築しなければならない。
2. 前項の規定により障壁の高さを増したときは、その高さを増した部分は、その工事をした者の単独の所有に属する。