建設コンサルタント会社に勤める今の若手設計者は、コンピューターを使って結果を求めることに慣れてしまっている。インプットの過程や設計条件だけは間違わないようにと教えられ、また、そこに成果を求められてきた。
以前、建設コンサルタント会社の技術者から構造物の耐震設計の解析内容について説明を受けたことがある。そのとき彼は、設計条件やインプットすべき値について細かく説明してくれたが、その解析がどのような過程を経てアウトプットされたかについて説明できなかった。
「解析はコンピューターがやってくれるから、解析内容を知らなくても設計はできる」という考えが、一部の若手技術者にあるような気がする。
そもそも設計とはなにか。「設計とは創造と科学的証明だ」――。ある建設コンサルタント会社のベテラン技術者が話をしていたのを思い出した。
昔は設計の際に、たくさんの方針や内容を頭で考えて、創造して、自らの手で科学的に証明する、そういう過程を経てアウトプットしていた。設計を吟味していたとでも言おうか。そこが建設の仕事の面白さにもつながっていた。
いまや、解析などでコンピューターを利用するのは当たり前の世の中になった。解析にかかる時間を省略できるなど、大きな利点があるからだ。さらに昔と比べて、時代の要請でさまざまな仕事が増えて一つの業務に割ける時間が短くなった。創造や科学的証明という行為に、あまり時間をかけなくなったのかもしれない。
先のベテラン技術者は、「せめてアウトプットしたものは他人にきちんと説明できるもことを前提にして、コンピューターを使用してほしい」と話す。設計で使用する手段が変わっても、設計を吟味するという重要性を忘れてはならないということか。
と、建設業界のことを書いていたが、われわれ出版業界も含め、どのような業界にも重要なことであったと書きながら痛感した。
<訂正>
初出時にタイトルや文中で「設計とは想像と科学的証明」と記述しましたが、正しくは「設計とは創造と科学的証明」でした。「想像」と記した4カ所を「創造」に訂正します。(2009年6月24日 12時44分)