「やっと上陸できる」と喜ぶ人たちの姿が目に浮かぶ。近畿日本ツーリストは4月24日から、日本最初期の鉄筋コンクリート造建築群として知られ、巨大廃墟として人気の高い長崎市の軍艦島(正式名:端島)に上陸するツアーを開始する。従来、遊覧船に乗って沖から見学するクルージングツアーはあったが、上陸はできなかった。


長崎市の軍艦島(正式名:端島)を東側上空から見る(写真:軍艦島を世界遺産にする会)

 ツアー名は「軍艦島上陸と長崎近代化産業遺産群」。長崎港から約19km沖にある軍艦島に船で渡る。上陸後は、市が整備した全長約220mの見学通路を歩いて建築群を遠望する。見学通路から出ることはできず、島内をくまなく歩き回るわけにはいかない。それでも、この島で青春時代を送った元住民や、ウェブサイト上の写真に目を奪われ、クルージングツアーで護岸まで接近した軍艦島ファンにとっては、上陸の持つ意味は大きい。

 日経アーキテクチュアは2005年5月16日号の「有名建築その後」欄で、この軍艦島を取り上げている。周囲約1.2kmの敷地に約30棟の中高層住宅や炭鉱の巻き揚げ槽が立ち並ぶ姿を海上から撮影。現地を実測調査した東京電機大学建築学科名誉教授の阿久井喜孝氏や、1931年から74年まで軍艦島で生活した元住民の談話などを交えて、最盛期には5000人以上が住んでいた同島の歴史と状況、そして建築的な位置付けを紹介した。

 当時、上陸は禁止されていた。荒廃が著しい建築群の保存について議論が始まったばかりで、所有者である長崎市は上陸の可能性すら示していなかった。事態が急展開したのは2008年12月のこと。文化庁が「九州・山口の近代化産業遺産群」の一つとして、世界遺産の候補にリストアップし、観光資源としての価値を認めた市が、軍艦島に上陸を認めるための条例を可決した。これを受けて、上陸ツアーが実現した。

 巨大廃墟として興味本位で見られがちだが、実は建築的価値も高い。1916年に建設された30号棟は、日本で最も古い鉄筋コンクリート造7階建ての高層集合住宅だ。東京・墨田区に建設された同潤会の中之郷アパートメントより10年も前につくられた。炭鉱技術者も設計に加わったと思われ、主筋には炭鉱の巻き上げワイヤロープを使用している。4階以下の改修時には、炭鉱で岩盤を支えるパイプで5階以上を支え、4階以下のコンクリートを全部打ち直している。

 18年に竣工した16~19号棟は、渡り廊下や人工地盤などの共用部が居室面積よりも広く、コミュニティーを尊重した独自の設計になっていた。屋上緑化もいち早く施されている。45年に竣工した65号棟には、実現こそしなかったが、増設を見込んでエレベーターシャフトが設けられていた。

 残念ながら、現時点では建築群から離れた島の南西部にしか上陸を許されていない。建築の特徴をつぶさに観察することはできない。しかし、周囲約1.2kmの小さな島に、大正と昭和を乗り越え、平成の時代を迎えてもなお自立する集合住宅群を見れば、建築の力を改めて実感できるはずだ。この春、長崎の海原に囲まれて、日本の近代建築を築いた名もなき設計者や施工者たちの偉業を確かめてはいかがだろうか。

 ちなみに、ツアー料金は2万6800円(1泊2日)~7万8000円(2泊3日)。桟橋の波高が0.5m以上に達するなど荒天の場合は上陸できない。ツアーには、長崎市内にある旧グラバー住宅など他の施設の見学を含む。近畿日本ツーリストの担当者は、「20~50代の幅広い年齢層から毎日、問い合わせがある。想定していたより女性からの問い合わせが多い」と話している。