2008年10月14日正午、タンクローリーの火災事故から73日目に首都高速5号池袋線が全面開通した。通行止めによって、首都高速道路全体の料金収入は1日当たり5000万円減少。1日でも早く復旧するために、昼夜連続で施工する現場には絶えず緊張感が漂っていた。


写真右から順にJFEエンジニアリングの野口部長、大林組の渡辺所長、首都高速道路の和泉局長、三井住友建設の黒瀬所長、首都高メンテナンス西東京の小林部長 (写真:ケンプラッツ)

 「一発勝負なので、手違いが一つでもあると工期が延びる。もし、失敗したら携帯電話を折って逃げるしかないと思い詰めていた」。鋼桁の架け替えを担当したJFEエンジニアリング工事部の野口英治部長は明かす。同社は、工期の前半となる西側半分の架け替えと、後半の東側半分の架け替えで、現場に配置する人を入れ替えた。負荷が絶えず加わる環境で、ミスなどを起こさないようにするためだ。

 「材料の調達に漏れや遅れがないように、メーカーに繰り返し電話して確認した」。床版を施工した大林組の現場代理人を務めた渡辺朗所長はこう話す。同社は最盛期に約10人もの技術者を現場に配置。下請け会社からの質問などに即答できる体制を整えた。「午前4時に、首都高速道路会社の職員に配筋の確認などの立ち合いを求めたこともあった」(渡辺所長)。

 鋼桁の架け替えと床版の施工のはざまで工程調整に最も苦労したのが、橋脚の補修を担った三井住友建設だ。「桁や床版の工事と重なると、上下作業になるので施工できない。他社が朝礼などで作業を中断している間を縫って施工するしかなかった」と、同社の現場代理人を務めた黒瀬智雄所長は話す。

 火災で損傷した鋼桁の仮支えや床版の撤去などは、首都高速道路会社のグループ会社である首都高メンテナンス西東京が担当。「吊り足場や仮設トイレの設置から、ガードマンの手配、発電機用の軽油の配達まで、あらゆることを手がけた」。同社護国寺事務所の小林一吉部長はこう振り返る。

 現場にあるのは日割りの工程表だけ。各社の担当者が朝、昼、夜の1日3回、現場に集まって黒板に作業内容を書き出し、優先順位を付けながら工事を進めた。

 こうした厳しい復旧工事で建設会社が得たものは何だったのか――。取材を進めるなかで、考えずにはいられなかった。

 首都高速道路会社は、建設会社とそれぞれ随意契約して復旧工事を発注した。入札にかけると工事開始が遅れるからだ。全体の復旧工事費は約20億円。昼夜連続で施工したことなどで、2径間40mの高架橋の橋桁を新設する通常の工事と比べて、およそ4倍の金額になった。

 首都高速道路会社は2008年度末までに、建設会社の請求や配置した作業員の人数などを積み上げて精算する。その結果、各社は落札率100%に近い金額を受け取れる可能性もある。

 しかし、最大のメリットは、各社の技術者にとって得難い経験ができたことではないだろうか。「図面がない状態から多くの関係者と調整して、臨機応変に動かなければならなかった。若手にはきつかっただろうが、いい勉強になったはずだ」。JFEエンジニアリングの野口部長の言葉だ。

 「事故の翌日ごろから、『何か協力できないか』と八つの建設会社から申し出があった」と、首都高速道路会社西東京管理局の和泉公比古局長は言う。首都高速道路会社は、短期間で材料を調達できることや首都高速道路の構造を熟知した技術者を配置できることなどの条件を各社と擦り合わせながら、施工してもらう建設会社を決めた。