ラブ(LOVE)――。先ごろのイベント「東京デザイナーズウィーク」は、前回・2007年と同じこの言葉を掲げて開催し、会期(10月30日~11月3日)を終えた。昨年、私はこのテーマを特に気に留めることもなく、スルーした。愛と言われてもねぇ、という感じ(思えば、伊東豊雄さんデザインのハートマークのTシャツなども売られていたのだが)。

 しかし、今年、この言葉に建築はもっと近付いてもいいのではないかと思い直し、誰か「愛」を語っちゃいないのか、と見回してみることにした。

 そんな矢先のある日(11月4日)の晩、ニュース番組に登場した建築家の隈研吾さんが折りよく、語っているではないか(折りよすぎ)。持論として展開してきた「負ける建築」について、偉そうにしていないたたずまいは、「愛される建築をつくるために」必要だったのだ、と。それは割とうまくいったと思う、と。

 インタビュアーが女性キャスターの小林麻央さんということもあってか、にこやかに語るクマさんキャラは、いつになくかわいく、いつにもまして輝いている(これはドーランと照明のおかげかな)。

 昨年末に「恋する建築」と題する著者を出版し、テレビ出演なども話題になった中村拓志さんのスタンスも、これに近い。親密な恋愛感情を、人と建築は持ち合うことができる。建築もまた、人に恋する、とその中で語っている(中村さんは隈事務所の出身だ!)。

 「愛」などという言葉を持ち出さなくてはならないのは、いまの建築や都市が、一般の生活者・利用者との間で「美」を共有できず、ここまで来てしまったからだ。

 元をたどるなら、建築が建築であることの条件に、「美」(美術/芸術)は欠かせない一つだった。建築における美の議論はもちろん長くあるわけだが、社会と触れ合う言葉として、効き目を持つまでに至っていない。神奈川県真鶴市の「美の条例」のような取り組みはあるものの、「美しい」が貴族趣味(エリート意識)に由来するものとされる事情は、おそらく変わってきていない。

 (いまの世間で「美しい」を考えることはとてもやっかいであり、しかもそれは「愛」や「恋」と切り離せないということは、小説家・随筆家の橋本治さんが、丸々一冊を費やして考察した著作※1があるので、ご興味のある方はどうぞ)

 さて。このところ建築にも言われるようになった「かわいい」(可愛い=lovelyあるいはcute、pretty)も、「愛」のバリエーションと言っていいのだろう。

 最近では印象に残ったのが、後期モダンの建築の「美」を最も達成しているはずの一人、槇文彦さんが自作「三原市芸術文化センター」の解説の際に「かわいい」という表現を連発※2していたことだ。ドーム部分の形状が、かつて多摩川に現れて人気キャラとなった“アザラシのタマちゃん”の頭に、とても似通っているのだという。もしやタマちゃん建築を巡り、よほど喜ばしい手応えを体験されたのかも、と思わせるお話ではあった。

 この「かわいい」という表現にいち早く反応し、日本文化との関係でこれを分析した一人に、批評家の四方田犬彦さんがいる※3。

 「かわゆし」という単語が登場するまでの間、かわいいものを日本人は「うつくし」と呼んでいた(美し、とも、愛し、とも書く)。やがてそれぞれは異なる道を歩む。そして、いま、「かわいい」(=心の躍動)に対立する概念は“無感動”の類語しかなく、「美しい」のように反対語は持っていない。「醜い」や「きもい」が一見、対立語のように思われているが、むしろそれらは“隣人”である。──など幅広い視点から、四方田さんは、いま日本でなぜ「かわいい」が威光を放つのかを論じている。

 だから、この際、より威光のある、包容力のある「愛」を。

 愛だって争い事のタネであるし、いや、愛こそが闘いの源ではある。禁断の愛もあれば、ストー カー愛もある。ただ、どうやら、美と醜に折り合いを付ける思考(スキル)よりも、愛と憎に折り合いを付ける思考(スキル)の方が、日本人にはまだ身近なのではないか。

 これを腹の足しにならない精神論・観念論ではなく(聞きたくないでしょ?)、方法に置き換えられないものか。例えば“悪い(美しくない)景観”という指弾は頑なな感があるが、「日本橋愛vs首都高愛」とか、建築なら「前川愛vs村野愛」(アイドルのイベントか?)とかなら、もっと耳を傾けたくなりませんでしょうか。

 社会学をまた引き合いに出す。「平均」や「妥協点」を見いだす意思決定の方法=民主主義がたいして希望をもたらすことはないと皆が知るいま、どのように未来社会を構想するか。社会学者の大澤真幸さんは、その論考※4の最後の最後に、やはり「愛」をテーマに置いている。観点は、先ほどの「かわいい」が持つ“包摂性”の話に似ている。

 差し当たっての問いは、単純。いま、目の前にある仕事の中に、どのような愛が残っているのか、だ。(あぁ、これ、自分に返ってくるなぁ、まずいなぁ…)


※1 橋本治「人はなぜ「美しい」がわかるのか」(筑摩書房、2002)  ※2 ArchiFuture展「基調講演」(2008年10月30日) ※3 四方田犬彦「「かわいい」論」(筑摩書房、2006) ※4 大澤真幸「逆接の民主主義 ――格闘する思想」 (角川グループパブリッシング 、2008)