福田康夫首相の突然の辞任会見を見て、中学生のときに夢中で読んだ小松左京氏のSF小説、「そして誰もしなくなった」を思い出した。総理が「やめた……」と言って突然、職を投げ出してしまう短編作品である。

 小説の冒頭、秘書官が総理に、閣議はどうするのかとあわてて問いかける場面が印象深い。
 <「そんなもの出ないよウだ」と、総理はふりかえりながら、アカンベした。「わしは総理をやめたんだ。――もう閣僚でもなんでもない」>

 昨年の安倍晋三前首相の辞任会見には悲壮感が漂っていて、「この状態ならしかたないか」と思わせた。福田氏はアカンベこそしなかったが、ひょうひょうとしていて、30年以上も前に書かれたSF小説の世界に近かった。

 それにしても、日本のリーダーである福田氏はなぜ辞めようと思ったのか。リーダーが辞めたくなるときについて考えてみた。

(1)大きな事故やトラブルを起こし、責任を問われたとき
(2)重責に見合わない長い労働時間、少ない報酬に嫌気が差したとき
(3)社会のモラルに反することを強いられ、良心が痛んだとき
(4)組織や上司から不当に低い評価を受けたとき
(5)部下や市場から支持されず、自分の無力さを思い知ったとき
(6)病気などで体力の限界を感じたとき

 福田氏の辞任理由は(5)に近いのではないかと推測している。取り組んだことが国民から理解されず、低支持率が続いていた。理解してもらえない相手が競争相手の野党なら想定の範囲内。しかし、それが仲間や国民だとしたら、相当にきついだろう。

 多くのメディアは、責任ある立場にいる首相の無責任を痛烈に批判しているが、私は辞任を受け入れている。福田氏の気持ちは「おまえら、できるもんならやってみな」かもしれないけれど、力の限界を自覚し、身を引いたように見えるからだ。無能で鈍感な人が(福田氏が無能で鈍感だとは思わない)、長々と居座るほうが問題だ。

 建設業界にも様々なリーダーがいる。社長や副社長、本部長、支店長、部長、現場所長、職長・・・。皆なんらかの責任を負い、チームのメンバーを率いる立場である。そんなリーダーの一部が、談合したり、廃棄物を不法投棄したり、労災隠しをしたり、モラルに反することを繰り返してきた。

 ここ数年で、ようやく法令順守の自覚は芽生えてきたものの、今度は経営環境悪化という深い霧に包まれて視界が悪い。建設会社経営者の危機意識の乏しさが指摘されているが、こんな時代に求められるリーダーの資質とはどんなものなのか。

 目先ではなく数年後の未来を見てビジョンを示すこと、会社や組織が間違っていると思ったときに反対意見を主張できること、チームのメンバーが力を発揮できるように環境を整えること――。このどれにも当てはまらないのなら、リーダーであることを考え直したほうがいい。「裸の王様」状態を自覚できることも、リーダーの重要な資質だと思う。