中銀カプセルタワービル、都城市民会館──。日本建築学会の保存要望もむなしく、今年建て替えや取り壊しが決定した建築物だ。いずれも建築界では「戦後建築の名作」という評価を得ていた。

 その一方で、取り壊しや火災などでいったん消滅した後、復元される歴史的建築物もある。1931年竣工の大阪城天守閣を初めとする昭和生まれ、平成生まれの城郭建築は、代表的な事例といえるだろう。城以外では、2012年に完成予定の戦前の東京駅丸の内駅舎を挙げることができる。どれも建築界の内外、少なくとも建築界の外にいる人々の間で人気があり、観光名所となっている。または、なると見込まれている。

 取り壊されていく戦後建築に対しても、いずれは建築界の外から復元を望む声が上がるのか。それを予測するには、復元される歴史的建築物の条件とは何かを理解しておく必要があるだろう。その条件は、筆者の私見では以下の3つだ。

(A)古きよき時代に建てられた
(B)外観に、古きよき時代にふさわしい雰囲気がある
(C)発注者か設計者が、歴史上に名を残している

 例えば城郭建築は、(A)江戸時代に建てられ、(B)浮世離れした古風な外観を持ち、(C)少なくとも地元では有名な殿様が発注者、といった具合に3つの条件を満たしている。

 では、戦後建築はどうか。筆者は中銀カプセルタワービルの建て替えや都城市民会館の取り壊しの決定を報じた際に、将来復元される可能性はないか考えてみた。ゼロではないような気がするのだ。どちらもメタボリズム(建築や都市を生物のように部分的な更新が繰り返されるものとしてとらえる考え方)に基づく建築物だ。

 まず(A)の条件だ。これらの建築物が完成した高度成長期は、のどかな江戸時代とは対照的にあわただしかった。それでも、いずれは古きよき時代と多くの人が見なすようになるのではあるまいか。景気の浮き沈みはいつの時代にもあるが、高度成長期のような好況がまた日本にやってくるとはちょっと考えにくい。この時代を代表する映画スターの植木等氏が先ごろ亡くなると、マスメディアの扱いは非常に大きかった。あれは高度成長時代を懐かしむ人が多くなる兆しだったように思われる。

 (B)についてはどうか。メタボリズム建築は果たして高度成長期にふさわしいといえるだろうか。確実なことは後世の建築史家に聞かなければわからない。ただ、スクラップ&ビルドの伝統がある日本で、部分的な更新を繰り返して長期間存続する建築物をつくろうとした建築家たちの楽天性やバイタリティーは、高度成長期にふさわしいような気もする。

 さて、(C)はどうなるか。中銀カプセルタワービルを設計した黒川紀章氏や、都城市民会館を設計した菊竹清訓氏は、辰野金吾のように歴史に名を残せるか──。こればかりは、KEN-Platzや日経アーキテクチュアが数十年後も存続して、見届けるしかない。

<訂正>
 6月5日の掲載時点で、今年建て替えや取り壊しが決定した「戦後建築の名作」として東京中央郵便局も列挙しました。しかし、同郵便局は1931年に完成した戦前の建築でした。該当部分を削除して訂正します。

4月15日に建て替えが決まった中銀カプセルタワービル。銀座の街並みのなかで異彩を放っているが……。(写真:KEN-Platz)
4月15日に建て替えが決まった中銀カプセルタワービル。銀座の街並みのなかで異彩を放っているが……。(写真:KEN-Platz)