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 インタビューではまず、当選確実の報道を受けて会見に応じた石原氏のコメントに対して、こう批判した。「石原氏の『オリンピックは夢だから』といったコメントを聞くと、都民のひとりとして頼りないと感じる。ロンドンの次のオリンピック開催地はドバイになる可能性が高いからだ。オリンピックの候補地に選ばれなかったときの責任を取ると言っているが、無責任だ」。

 そして、選挙戦の難しさについて、次のようにコメントした。「公開討論などメディアを通じてマニフェスト(公約集)の考えを広める機会はあった。それでも、有権者約1000万人に対して配布できるマニフェストのビラが30万枚では足りない。インターネットを通じた配布もできなかったので、どうすればマニフェストを浸透させられるのかという課題があった」。

 さらに、黒川氏は「建築家としての数多くの仕事もこなしながら、都政を監視していきたい。そして、世界に石原氏がどんな人なのかをきちんと発信していきたい」と、今後の抱負も語った。

 インタビューに応じた後、黒川氏はテレビの開票速報を見ながら独自に得票数を分析していた。すると突然、「そろそろ誕生祝いをやってくれ」と選挙対策本部のスタッフに指示。同本部を兼ねていた黒川紀章建築都市設計事務所の中で、73歳の誕生日を祝う会を始めた。開票日の4月8日は黒川氏の誕生日だった。選挙戦の様々な場面で見せた独自の“パフォーマンス”は、最後まで健在だった。

誕生日を祝ってもらい上機嫌の黒川氏。テレビ画面に映った石原氏にシャンパンを飲ませるポーズをとるなど最後まで、独自のパフォーマンスを披露した
誕生日を祝ってもらい上機嫌の黒川氏。テレビ画面に映った石原氏にシャンパンを飲ませるポーズをとるなど最後まで、独自のパフォーマンスを披露した

 マニフェストで政策を訴え続けた半面、政策とは関係が薄そうなパフォーマンスも積極的に繰り返した黒川氏。選挙戦を通じて一体、何を伝えたかったのか――。これから5回にわたる連載で、出馬宣言から投票日までの黒川氏の47日間を振り返ってみることにする。