プログラム作りとデザイン調整を分業化
隈研吾建築都市設計事務所でアルゴリズミックデザインの活用を推進してきたのは斎藤浩章氏だ。グラスホッパーは2007年ごろから海外の建築設計者の間で普及し始めた。同事務所には常時、欧米やアジアから来日した20~30人の外国人インターンが所属し、2008年ころにはグラスホッパーを使える外国人インターンがいた。それに目を付けたのが、斎藤氏だった。
斎藤氏は2004年に近畿大学建築学科を卒業後、専門学校やパース会社を経て、2007年に隈研吾建築都市設計事務所に入所。以来、3次元CG担当としてチームを率いている。
コンピューター上にプログラムを組んでデザインするという新しい手法だけに、抵抗感を示す設計者は当然ながら多い。そこで斎藤氏が採った方法は、プログラムの作成とデザインの練り上げを分業することだった。
「設計者自身がグラスホッパーを操作することで、デザインの品質や生産性が上がる。もし、自分自身がデザインの調整までを行い、その結果を設計者に持っていくという方法を採ったなら、『ちょっとデザイン意図とイメージが違うんだけどな』というように、何度もダメ出しを食らってしまうに違いない」と斎藤氏は言う。
設計者はまず、自分が考えたデザインの基本案をスケッチなどで作成。斎藤氏は設計者とのヒアリングを通じて、その建物のデザイン要素を抽出し、パラメーターで調整できるようにルール化する。そしてルールをグラスホッパーでプログラミングして、設計者に渡すのだ。
プログラムを渡された設計者は、前述のスライダーなどを調整して、満足のいくまでデザインを調整する。
分業体制でグラスホッパーやライノセラスに慣れ親しんだ設計者が、自分自身でこれらのソフトについて勉強し始めることもあった。敷居が高かったソフトを身近に感じ、さらに自分自身で使いこなしたいと思ったことで、事務所所内に自然とアルゴリズミックデザインのユーザーが増えていった。