日経コンストラクションは6月13日号の「現場紀信」で、写真家の篠山紀信氏が撮影した東日本大震災の写真を掲載した。5月1日から3日にかけて撮影したもののなかから15点を選び、22ページを割いた。同号の表紙写真も篠山氏の手によるものだ。未曽有の震災にどう向き合い、何を表現しようとしたのか、篠山氏に語ってもらった。

日経コンストラクション2011年6月13日号「現場紀信」から ※画像をクリックするとPDFファイルを表示 (写真:篠山紀信)

 3月11日に起こった出来事は、生きることの価値観を根本から変えるだろう。昨日まで平凡な日常を送っていたのが突如一変し、生と死があっという間に転換する不条理。それが小説や映画でなく、現実に人間に突き付けられたのだから。

 被災地から届けられる写真は、日を追うごとに様相が変わった。震災直後の生々しいもの。驚天動地というか驚愕するようなもの。悲しみを込めたもの。復興する人間の力強さ。昨日までがれきでいっぱいだったところに道ができていく驚き…。

 僕はものをつくる人間として、もっと深いところで人間に突き付けられた不条理とは何かを冷静に受け止め、現場と向き合って自分なりに表現したいと思っていた。

 日経コンストラクションから「現場紀信」で東日本大震災を撮らないかという話を持ちかけられたときはたいへんうれしく、二つ返事で引き受けた。「現場紀信」の写真はすべて、僕の感覚と目で切り取る。「現場紀信」であれば撮れると思った。

 とにかく被災地に行ってみることが重要だった。東京でこういうものを撮ろうと事前に考えて、被災地でそれに合った写真を撮るのは不遜な行為だ。

 震災の発生から50日後に行った被災地は、不思議なほどに静かだった。被災地のあまりの大きさゆえに、被災したままの状態が広がるという理由もあるが、それだけではない。ぶしつけにも突然取材し、撮影させてもらっているのに、被災者は丁寧で冷静に話をしてくれた。ある種の達観なのか諦めなのか、その静けさと落ち着きのなかから、震災で受けた傷や悲しみの大きさがひしひしと伝わってきた。

 3月11日以前と以後では、表現の在り方が変わると思う。表現者としての僕は価値観が変わり、作品が変わる予感がする。でも1回行っただけで僕の表現がどう変わるとか軽々に結論付けたくない。被災地には複数回行くことになるだろう。日がたつごとにものの見方は変わるはずだ。震災の現実と対峙し、最終的な作品として答えを示したい。(篠山紀信氏談)


「現場紀信」でこれまでに取り上げた現場は以下のとおり(カッコ内は日経コンストラクションの掲載号)。
●GENBA1 羽田空港D滑走路(2010年1月8日号) [サンプルPDF]
●GENBA2 東京港臨海大橋(2010年1月8日号)
●GENBA3 東京ガス扇島LNG地下タンク(2010年7月23日号)
●GENBA4 圏央道高架橋(2010年12月24日号) [サンプルPDF]
●GENBA5 東京スカイツリー(2011年1月10日号) [サンプルPDF]
●GENBA6 東急渋谷駅地下化(2011年1月24日号)
●GENBA7 東京スカイツリー2(2011年4月11日号)