着の身着のまま逃げる事件も

 取り組みの本質はこの先にある。異状が見つかったエリアには、繰り返し職員を派遣。盗水などの現場を一つひとつ粘り強く見つけ出して、無収水率を改善していった。

 こうして市が公社への技術協力を始めてから約7年後には、無収水率8%を達成。給水時間も1日10時間だったものを、24時間に改めた。地道な努力による大きな成果は、「プノンペンの奇跡」と呼ばれるようになった。

(資料:北九州市)
(資料:北九州市)

 この事業に対する市の責任感の強さを示すこんな逸話がある。03年にプノンペンで暴動が発生し、技術指導を担当していた市職員の滞在するホテルが襲われて、着の身着のままで日本大使館に逃げ込む事態が生じた。

 それでも、市は事業から撤退せず、根気強くプノンペンの水道事業を支え続けた。こうした姿勢が導いた水道事業の成果は、北九州市がその後担う、カンボジアの複数都市での技術支援につながっていく。