最初のうちは出番なし

 厚生労働省は日本国内でプノンペンでの水道技術の指導などを引き受けてくれる自治体を探し、声を掛けて回った。

 しかし、地雷やエイズなどマイナスのイメージが強い時期で、なかなか引き受け手が現れず、北九州市にも依頼が回ってきたという。

 同市は、これまで厚労省が市の施設整備や水源開発に協力してきてくれた点と、同省がプノンペンは安全だと言う点とを熟慮。依頼を引き受ける決断を下した。

 そして早速、技術者である久保田和也氏をプノンペン水道公社に派遣した。ところが、久保田氏の出番がない日々が続く。公社の職員は北九州市を十分に信用していなかったのだ。

 信頼の構築は意外なことが起点となった。ゴルフだ。水道公社のエク・ソン・チャン総裁に求められ、久保田氏がゴルフの練習に付き合い出したところ、その交流を見た公社職員が久保田氏に近寄り始め、仕事の相談などを持ち掛けるようになった。