首都高速5号池袋線の下り線で、タンクローリーが横転して炎上したのは2008年8月3日のこと。火災の熱で上り線の鋼桁が大きく変形し、路面が60~70cm沈んだ。道路を部分開放しながら半断面ずつ施工するという厳しい条件の下、10月14日正午、当初の予定よりも約1カ月早く全面開通した。


炎上するタンクローリー。首都高速道路は2008年度中に、復旧工事費約20億円と通行料金の減収約25億円の合計約45億円をタンクローリーを所有する多胡運輸(群馬県高崎市)に請求する方針だ(写真:首都高速道路)
炎上するタンクローリー。首都高速道路は2008年度中に、復旧工事費約20億円と通行料金の減収約25億円の合計約45億円をタンクローリーを所有する多胡運輸(群馬県高崎市)に請求する方針だ(写真:首都高速道路)

1000℃の炎に90分間あぶられて変形した上り線の最も西側にある鋼桁端部。1.2mの桁高が半分程度になった(写真:首都高速道路)
1000℃の炎に90分間あぶられて変形した上り線の最も西側にある鋼桁端部。1.2mの桁高が半分程度になった(写真:首都高速道路)


 「何か協力できないか」。事故翌日の8月4日から5日ごろにかけて、首都高速道路会社には計8社の建設会社から申し出があった。

 工期を左右する第一の関門は、鋼桁の調達だった。「当初は、3カ月程度で全面復旧したいと考えた。逆算すると、西側と東側の施工に費やせるのはそれぞれ1カ月半。鋼桁は1カ月で現場に搬入しなければ間に合わない。厳しい要求だが、受けてくれるかどうかを各社に尋ねた」。首都高速道路西東京管理局の和泉公比古局長はこう振り返る。


写真右から順にJFEエンジニアリングの野口部長、大林組の渡辺所長、首都高速道路の和泉局長、三井住友建設の黒瀬所長、首都高メンテナンス西東京の小林部長 (写真:日経コンストラクション)
写真右から順にJFEエンジニアリングの野口部長、大林組の渡辺所長、首都高速道路の和泉局長、三井住友建設の黒瀬所長、首都高メンテナンス西東京の小林部長 (写真:日経コンストラクション)


事故から29日目に鋼桁を架設

 この要求に応じたのがJFEエンジニアリングだった。同社はグループ会社のJFEスチールに鋼板のロールを緊急で依頼。三重県内の工場で鋼桁を製作して、8月31日に西側の鋼桁を現場に搬入して架設した。

 鋼桁の搬入日に間に合わせるため、首都高メンテナンス西東京は西側に架かる既設の床版などの撤去工事を昼夜連続で実施した。「各社の工程調整から地元の苦情対応まで手掛けた」と、現場代理人を務めた同社護国寺事務所の小林一吉部長は話す。

 新しい支承は、首都高速道路の別路線の支承取り替え工事で使う予定だったものを流用した。

 鋼桁を架設した後は、大林組の手掛ける床版工事が第二の関門だった。

 「西側と東側のいずれの床版も、2径間分のコンクリートを週末の1日で打設する工程を組んだ」と和泉局長は言う。コンクリートの打設時は部分開放する車線も通行止めにするなどの必要があり、交通量が少ない週末でなければ施工が難しいからだ。

 「材料の調達に漏れや遅れがないように、メーカーに何度も電話して確認した」。大林組の現場代理人を務めた渡辺朗所長はこう話す。同社はJFEエンジニアリングが鋼桁を架設した当日から、配電盤の設置などの準備作業に着手。コンクリートの打設日までに型枠や鉄筋の配置を終えるよう万全を期した。

 大林組は最盛期に約10人もの技術者を現場に配置。下請け会社からの質問などに即答できる体制を整えた。「午前4時に首都高速道路の職員に配筋の確認などの立ち合いを求めたこともあった」(渡辺所長)。